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1992to1998
MIRAGEMIRAGE
'92-95 ミラージュ '96-98 ミラージュ


1985年にスタートし、その競争性の高さにより注目されたたミラージュによるワンメイク・レース(ミラージュカップ)は、1990年代に入ってより一層の盛り上がりを見せた。1991年を最後にミラージュカップ2代目ミラージュ(C53A)は、3代目「ミラージュRS(CA4A型)」にスイッチし、車両レギュレーションも様変わりした。

それまでターボ・パワーとエアロパーツによるフォルムが特徴的だったミラージュカップは、エンジンは自然吸気(NA)となり、ボディ形状の改良が禁止された。こうしてマシン自体のフォルムはおとなしくなったものの、改造範囲を厳しく制限されたN1規定に沿うことに加え、エンジン・コントロール・ユニットをワンメイクとした、より一層のイコール・コンディション化がすすみ、よりコンペティティブなレースとなった。すでに最高峰の「インターナショナル・カップ」をはじめ、3シリーズが開催されていたミラージュカップは、そのすべてのシリーズで毎戦異なる優勝者を出すほど競争性に優れ、当時三菱以外にトヨタ、日産、ホンダなど日本の各主要メーカーもワンメイク・レースを推進していたが、競争性とそのレベルの高さは群を抜いていた。1996年には4シリーズ目となる関西シリーズも新設され、ミラージュカップの注目はより高まった。さらにこの1996年は、4代目モデルとなる「ミラージュRS(CJ4A型)」が新たに投入された年でもあった。先代モデル同様、改良パーツは指定されたもののみ使用が許可され、伝統のイコール・コンディションは継承、しかしMIVEC1.6リッター4G92型エンジンは、先代モデルと同様ながらレスポンス特性など大幅な向上がなされたことで、ドライバーの技量による差は先代モデル以上に明確になった。日本国内でも有数のトップドライバーが参戦していたインターナショナル・ラリーアートカップでは、その激しいバトルにより一層磨きがかかり、その結果、ニューモデルの登場は人気の向上にさらに拍車をかけた。

こうして人気を拡大させていくミラージュ・カップだったが、三菱自動社を取り巻く経済環境が厳しい中にあって、1998年いっぱいで、ミラージュによるワンメイク・レースは中止。1985年の開幕以来、人々に愛され続け、世界的に見ても最もコンペティティブなモータースポーツのひとつだったレース・シリーズは惜しまれながら、14年の歴史に終止符を打った。


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