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三菱vsプジョー、熾烈な優勝争奪戦 1987年はパリダカにとって、ひとつの転換の年だったと言えるだろう。創始者ティエ リー・サビーヌのいない初めてのパリダカ、そして冒険要素の強かったこれまでのパ リダカから、スピードラリー化を迎えたパリダカ。明らかにパリダカは新時代へと突 入していた。特にパリダカのWRC(世界ラリー選手権)を彷彿させるスピードラリー 化は、プジョーの参戦が最大の原因だった。前年の1986年にWRCチャンピオンを獲得 したプジョーは、WRCの体制をそのままパリダカに投入し、パリダカをWRC化したので ある。マシンもWRCのチャンピオンマシン、205T16の改良マシンを持ち込み、ドライ バーはWRCドライバーのアリ・バタネンを起用した。パリダカを一変させたプジョー に対し、この年5回目のパリダカ挑戦を迎えた三菱は、前年のマシンをモディファイ したパジェロを投入した。ドライバーにはエース、アンドリュー・コーワンに加え、 前回大会で初出場初完走を果たした篠塚建次郎、そして初出場の増岡浩らが起用され た。サハラ砂漠を縦横に駆け抜ける13,000kmの道程は、マシンや選手を大いに苦しめ たが、パジェロはその困難をものともせず、プジョーとともに激しいトップ争いを展 開した。しかし、連日マシンを全換装させるプジョー・ワークスの物量作戦には、三 菱も苦しめられた。だが、パジェロにはこれまでの経験を生かした高い信頼性という 武器があった。物量に勝るプジョー対信頼性の三菱。両者の戦いは終盤まで続き、三 菱パジェロは惜しくも優勝を逃した。しかし、篠塚が3位に入り、日本人として初の パリダカ表彰台を獲得した。また、コーワンは総合8位でゴールした。 総合成績
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