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MITSUBISHI MOTORS

離れ離れになったパジェロを、早く迎えに行ってやりたい

※お客様より「ナンバープレートも年月を感じる大切なシンボルなので掲載して欲しい」とのお申し出をいただき、ナンバーを掲載させて頂いております。

44年前の昔と今

 東日本大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 僕は都内にいて、幸いなことに歩いて帰宅できました。それ以来、報道に釘付けとなっていました。なぜならば、地震の数日前に岩手県奥州市で会った、千葉富明さん(61歳)の安否が気になっていたからでした。
 県内の農場に勤務している千葉さんは、三菱パジェロ2800に新車から16年間で、なんと71万キロも乗っていた。毎日の通勤や仕事だけではなく、週末の釣りなどにパジェロに乗らない日はないと聞いていたから、どこかで地震の被害に巻き込まれていなければいいと心配していた。
 それにしても、71万キロというのは、驚異的な数字だ。僕も、一台のクルマに長く乗り続けてきた人にずいぶんたくさん会ってきたけれど、71万キロも乗った人なんて会ったことがなかった。震災の数日前に東北新幹線に飛び乗ってさっそく会いに行った僕を、千葉さんは駅で出迎えてくれた。
「これです」

 駅の駐車場に停められたパジェロは、すべてのフェンダーの縁がサビて、無数の穴が空いている。窓枠の黒い塗装が、なぜかポロポロと助手席だけ剥げ落ちている。大小の傷は数え切れない。

 しかし、屋根やボンネット、ドアなどの白い塗装は、きれいなもの。経年変化で全体的に痛むのではなく、停まっている時間に対して、走っている時間が長いクルマに特徴的なヤツれ方だ。フェンダーの内側が乾くヒマもないほど、走りに走っている。

 助手席に乗せてもらって、千葉さんが所長を務める農場「とんとん山」に向かった。主に、豚を飼育している。この辺りでは、駅から離れると、すぐに山の中の田園地帯だ。雪が残っているが、路面は乾いている。

 久しぶりに、この世代のパジェロに乗ったから、インテリアが懐かしい。ダッシュボード中央の、気圧/高度計、傾斜計、温度計が並ぶ円形の3連メーターがパジェロらしい。 副変速機付きパートタイム式4輪駆動システムを備えているから、その切り替えレバーが、5速マニュアルトランスミッションのシフトレバーの脇から生えている。直線基調でグレーのダッシュボードやメーターパネルに、オレンジが刺し色で効いている。革巻きハンドルは褪色し掛かった上に、よく握られるところだけテカっている。
 カラカラカラッというディーゼルエンジンの音も軽やかに、パジェロは進んでいく。シャシーやサスペンションもしっかりしていて、走りっぷりからは、とても71万キロも走ったクルマとは思えない。
 びっくりしたのはシート。新車時からのグレーのモケット生地のものだが、運転席にも助手席にも、どこにも擦り切れたり、縫い目がホツレているところが見当たらない。掛け心地だって、申し分ない。サビで穴が空いた4輪のフェンダーと達者な走りっぷりとのギャップが著しい。
「まず疲れない。こいつとなら、どこまでも行ける気がする」

 田園の中の集落を通り過ぎようとした時、千葉さんは急にパジェロを路肩に寄せ、何も言わずに降りた。斜め前の路地から出ようとして、路肩の雪で電動シニアカーのタイヤをスリップさせ、進めなくなった老婆がいた。千葉さんは、シニアカーを少しズラしながら雪から外し、道路の向こう側まで押してあげた。一連の動きがごく自然で、なにごともなかったかのようにパジェロに戻って、運転と話を続けた。

 パジェロが衝突されたことやその悪影響で26万キロ時にエンジンを交換したことなどを詳しく僕に説明してくれながら、曲がりくねった細い道を運転していて、よく気付いたものだ。知り合いなのだろうか。
「全然、知らない人ですよ」
 ほとんどのドライバーは、そのまま通り過ぎてしまうだろう。僕だって、見えていなかったし、雪でスリップして前に進めなくなっているとは想像できなかった。千葉さんが、弱者に対して、細心かつ最大の気遣いをしながら接することができる優しい人だということがよくわかった。

祖父が乗っていたミニカ

 太めの林道の先に、千葉さんの農場「とんとん山」はあった。防疫のための高圧シャワー洗浄器は、かつて使っていた三菱デリカトラックだ。登録を抹消し、そのまま何年もここに置かれているから、タイヤが半分土に埋まってしまっている。何年ぶりかでドアを開けて、埃を指で拭って距離計を見たら、49万9931kmを示していた。デリカトラックは、もう一台ある。

パジェロの71万キロに驚いていたら、デリカトラックまで超長距離を走っていた。いったい、千葉さんとこの農場の人たちはどういうクルマの乗り方をしているのだろうか。

「このノートを見て下さい」
 A5版のノートに記されているのは、パジェロの給油と修理記録だ。94年に購入した時から、一回も欠かさずに、日付と給油量と走行距離が記入されている。年ごとに集計も行われていて、95年から98年の4年間が突出している。順に、6万km、6万4000km、5万1000km、4万9000km。
「この4年間が、とても忙しかったんです」

 99年以降も、多い年で4万7000km、少ない年でも年間3万kmは走っていて、そのペースは今でも落ちていない。
「忙しかった時は、ここから大船渡、盛岡、一関、水沢と岩手県下4ヶ所の畜産センターを回って、途中で、ウチの豚肉を売ってもらっているスーパーマーケットに寄ったり、時には銀行や役所などにも何度も足を運ばなければならないこともありました。全部、私がこのパジェロを運転して行きましたよ」
 26歳の時に、銀行と役所を説得して約4億円を借金。20ヘクタールの土地を購入して、農場を建設した。
「地域に雇用を生み出し、少しでも所得アップできればという願いと夢を乗せました」
 小さな子供が3人いたが、家族で農場に住み込み、身を粉にして働いた結果、少しずつ成果も上がっていった。従業員も増やすことができ、クルマも、前述のデリカトラック2台の他、ピックアップトラックの「三菱フォルテ」を2台や「三菱ギャランΣディーゼル」などを増やすことができた。千葉さん自身は、ジープに7年20万キロ、初代パジェロに13年32万キロ乗って、いま乗っているパジェロに乗り換えた。
 農場の事務所で、ノートや書類などを見せてもらいながら話を聞いた。精悍な顔付きに人懐こい笑顔を交えながら、千葉さんは身振り手振りを交えて、ご自分の半生61年とこの農場を建設してからの36年間について振り返ってくれた。

「結局、22年間社長として運営してきて、それなりに貢献はできたんですけど、借金を完済し、経営を効率化させて、さらに発展させるためには僕のような小さなところでは大きなところに太刀打ちできないことがわかったんです。断腸の思いで、手放しました」
 豚の飼料を購入していた、大きな飼料メーカーに借金ごと農場を譲渡した。ただし、条件が付いていた。それは、所長として千葉さんが引き続いて農場の運営に当たる、というものだ。97年のことだった。

「自分が造って売り渡した農場で、そこの責任者にされるという、人生で最大の男の屈辱を味わうことになりました。でも、もう借金の苦労をしなくて済むし、担当する仕事の範囲が狭まったので、ラクになりました」
 99年以降のパジェロの走行距離がグッと短くなっているのは、そのせいだったのだ。
 きっと、想像すらできないような悔しい想いも重ねたのだろう。「いまは感謝の気持ちしかなく、楽しく仕事をさせてもらっています」
 その言葉の通り、千葉さんは清々しい表情で、いきさつを語る。
「だから、ただの71万キロじゃないっすよ。このパジェロは、いろいろなものを包み込んでいるんですよ」

ミニカ君が、かわいそう

 ジープでも、1台目のパジェロでも、ノート記入を怠ったことはなかった。マニアックな記述ではないが、車検で行われた整備内容や交換したタイヤのサイズと銘柄まで記されている。
 パジェロの最大の整備は、99年6月に行ったエンジン交換だ。26万キロ走行時だった。

ヒュルヒュルという異音が消えず、それまでずっと10km/lだった燃費が、一気に7km/lに悪化した。購入以来、ずっと面倒を見てもらっている東日本三菱自動車販売の工場で原因究明を行い、「リンク品」と呼ばれる中古リビルドエンジンをクラッチユニットとともに交換することにした。35万6000円だった。
「最初のパジェロのディーゼルエンジンも29万5000キロで載せ代えているから、正直言うと、"やっぱり、パジェロのエンジンって、30万キロもたないのか"って疑っていたんです。でも、友達でショートのパジェロに40万キロ乗っていたのがいたから、"そんなことはないよな"って、乗り続けることにしたんですよ」
 燃費は10km/lに復活し、以来、一度もエンジンが止まったことはない。
 しかし、維持費が嵩んでいるのではないだろうか?
「みんなに訊ねられます。でも、そんなことはありません。車検は、毎回、15、16万円で済んでいます。ノート見返してみましょうか?」
 マフラーとクラッチ交換がそれぞれ1回ずつ。3万7000キロごとのブレーキパッド、ワイパー、タイヤ、バッテリーなどの消耗部品は、必要に応じて交換してきている。
「だから、維持費は本当に掛かっていないんですよ」
 農場で使っているデリカでも、マフラー交換を含めた車検代が17万円と格安だった。
「パジェロだけじゃなくって、三菱のクルマは維持費が掛からないというのは、私が知る限り間違いないですね」
 ミニカ、パジェロミニ、eKワゴンなどを家族や農場で使った上での、千葉さんの結論だ。
 千葉さんは感謝の心を持つ人だ。パジェロが走行50万キロ達成した時に、三菱ディーラーの歴代担当セールスマンやメカニックや関係者を14名水沢市内のプラザインホテル宴会場に招待して、「50万キロ走行達成謝恩会」を催した。その時の請求書もキチンと取ってあって、ひとり4000円で、自分の分も併せて合計6万円。三菱自動車工業にも招待状を送ったら、ちゃんとパジェロの開発担当者2名が愛知県岡崎市の開発センターから駆けつけてくれた。

「いろいろ話が出て、面白かったですよ」
 パジェロと水沢営業所に付ける注文はなく、三菱のクルマ全般に望むことを千葉さんは口にした。
「三菱のクルマは、"特別な何か"を持っていて欲しいんです。それはパジェロのような四輪駆動技術なのか、i-MiEVの電気自動車なのかわかりませんが、他では造れないクルマを造って欲しい。自分から目立とうとするのではなく、結果として"やっぱり、三菱のクルマだからナ"と人を納得させられるクルマ。万人受けを狙わず、泥臭いくらいが三菱のクルマには似合っている」
 パジェロの開発担当者たちは、エンジンルームと下回りを子細に観察して、ただただ驚いて帰っていった。

ミニカ君が、かわいそう

 山を下りて、再び、水沢の町に戻った。
「ひとつだけ、運転で気を付けていることがあります。音に敏感になるってことです」
 例えば、と前置きして示してくれたのが、ディーゼルエンジン特有のグロープラグの扱い方だった。このパジェロでは、エンジン始動時に電源をONにすると、ダッシュボードにグロープラグ暖気中のライトが点灯する。それが消えてから、もう一段キーを捻ってセルモーターを回して始動することになっている。

「消えた瞬間ではなくて、その数秒後に"カチッ"と小さな音が聞こえるんです。その音が聞こえないうちにキーを捻ってしまうと、セルの回転が多い。音を聞いてからだと、少ないんです。セルとバッテリーの負担が少なくなっていると思うんです」
 東日本三菱自動車販売みずさわ店に着くと、店長の吉田勝幸さん(46歳)は、ツナギで洗車中だった。

「吉田さんは店長っていったって、偉そうにしていないで洗車している。三菱らしくていいでしょう」
 吉田さんは、若い頃からの千葉さんを担当している。整え過ぎた眉が高校生のようだ。
「昔は、整備のことなどで、よく千葉さんに叱られていました。今では、いい思い出です。ハハハッ」
 ツナギからサッとスーツに着替え慣れしているところは、さすがは店長。

「私にばっかりじゃなくて、ここの人たちは、整備や修理で安く済ませる提案をしてくれるから助かるんですよ」
 技術的に問題がなければ中古部品を用いたり、整備の優先順を示して次回送りにするなど柔軟に対応している。
「自分もパジェロに10万キロ以上乗っていますけれども、お客様には気に入ったクルマに長く乗っていただきたいですね。そのお手伝いをさせていただいています」

 新幹線の駅まで送ってもらった時には、どっぷりと陽も暮れていた。千葉さんのパジェロの16年71万キロのストーリーを巡るのには、急ぎ足でも半日では足らなかったかもしれない。春になったら、パジェロで釣りに連れていって下さい。ナンバープレートもそのまま掲載して構わないことを確認して、新幹線に飛び乗った。

 帰京して数日経ち、お礼のメールを差し上げようとしていたところに、大地震に襲われた。千葉さんは大丈夫なのだろうか?
 携帯電話の災害伝言板に書き込み、PCへメールを送っておいた。
 返信が来た!
 来たということは無事なんだ。千葉さんは無事だった。宮城県へ釣りに出かけ、帰りに温泉に入ろうとしたところ、地震に襲われた。あっという間に地域は津波に飲み込まれ、瓦礫の山と火災に見舞われた。真っ暗なホテルのロビーで被災した人たちと眠れぬ一夜を送った。

 翌日、地域が完全に孤立してしまったことを知った千葉さんは、警察官とともに瓦礫の中から重機を引き出し、それで丸一日、瓦礫の撤去作業を行った。重機の操縦だったら、お手のものだ。30年前に700万円のローンを組んで買ったキャタピラ910タイヤローダーを、農場で毎日使っている。一刻でも早く家に帰りたいところだが、丸一日そこに留まって重機での瓦礫の撤去作業を行ってきたのは、千葉さんの無私の精神と心意気だ。自分もピンチなのに、人を助けることができる人なのだ。シニアカーの老婆を助けた姿と二重写しになった。
 国道は陥没し、反対方向は橋が流されていた。歩くしか脱出方法はなかった。
「胸が引き裂かれる思いで、パジェロをホテルの駐車場に置いてきました」 いくら歩いても携帯はつながらず、集落には電気が通っていなかった。結局、一関市までの100キロを歩き、帰ってきた。
「僕は元気ですが、パジェロとは離れ離れです。早く迎えに行ってやりたい」
 千葉さんが再びパジェロに乗れて、被災された方々と地域が早く復興されることを願っている。

岩手日日新聞に、千葉さんのパジェロが紹介されました。

追記:その後、千葉さんはパジェロと無事再会されたとのことです。

※再度千葉さんの元へ訪ね、取材を行いました。2013年10月取材時の記事へ

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