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MITSUBISHI MOTORS

41年目のバトンタッチ 樋口勝久さんと三菱ギャランGTO-MR(1971年型 41年12万6000km)

※お客様より「ナンバープレートも年月を感じる大切なシンボルなので掲載して欲しい」とのお申し出をいただき、ナンバーを掲載させて頂いております。

キッカケは一通のメール

 その日。

 樋口勝久さん(71歳)は都内の自宅で家族とともに山中薫さんを待っていた。

 樋口さんが新車から41年間乗り続けてきた三菱ギャランGTO-MRを譲り受けるために必要な書類を携えて、山中さんがやって来ることになっていたのだ。

 約束の時間に少し遅れて山中さんが到着した時には、すでに長女の智子さんも他県から来てリビングルームで昔のアルバムを眺めていた。

「いやぁ、遅くなっちゃってスミマセン。いろいろと陸運局の窓口で確認されたことがあったりして、時間が掛かっちゃいました」

 樋口さんがギャランGTO-MRを購入した自動車販売会社がすでに存在していなかったり、所有者名義を法人から個人に切り替えていたためだった。

 山中さんはギャランGTO-MRが縁となってここ数年間樋口さん一家と親しく交際している。だから、とても慣れた感じに見える。

 キッカケは一通のメールだった。山中さんが仲間と運営しているギャランGTOの愛好クラブ「ギャランGTOネットワーク」に三女の博子さんがメールを送ったのだ。

「父が、もうあまりギャランに乗らなくなっていました。他にオートマのクルマがあったのでそっちばかりに乗って。“ギャランを、どうしようか?”と家族で折りに触れて話していたんです。それで、ある時、妹がインターネットで検索してみて、山中さんのクラブを見付けました」

 メールには、父がギャランGTO-MRを持っているが手放したいので業者を紹介してもらえないかと書かれていた。

「“売り飛ばしてしまう前に考え直していただけませんか?”と返信を差し上げたのが最初のやりとりでしたね」

 海外に輸出されてしまったり、改造されてしまうことを山中さんは心配した。

「ワンオーナーでそんなに長く乗られているGTOが身近にあるのを知って驚きました。と同時に、貴重な一台なので、ぜひ乗り続けて欲しかった」

 クラブのメンバーに話すと、樋口さんのGTO-MRを知っているという人が何人もいた。

〈20年前に、当時でもすでに貴重だった“品川55のGTO-MR”が走っているのを見掛けたので、追い掛けて呼び止め、話したことがあるよ〉

 それは樋口さんもよく憶えていた。

「ライトバンみたいなのが追い掛けてきたんですよ」

 また、別のメンバーは電気工事の仕事に携わっていて、電柱の上での作業中に樋口さんのGTOが走っていくのを見ている。

〈すぐに電柱から下りていったんだけど、間に合わなくて走り去られちゃった。あのクルマがまだ生きていたんだ!〉

 その品川55という古いナンバーゆえに、GTOファンの間では有名な存在だったのである。

 メンバーたちの確信に充ちた声を聞いた山中さんは、樋口さんと樋口さんのGTOを囲む会を企画した。2008年6月1日、広い屋外駐車場のある都内のホテルに全国から23人ものメンバーが集まった。

 ライトバンドライバーと電柱に登っていた人は再会に感激し、それ以外の人々も樋口さんの話に耳を傾け、GTO-MRに目を見張った。

 GTOの調子があまり良くないと聞いた山中さんたちは、樋口さんの自宅ガレージまで出張修理に訪れたことがある。もちろん、自主的にである。ウォーターポンプやラジエーターなどの中古パーツ持参で4人で馳せ参じた。

「僕たちは、樋口さんに貴重なワンオーナーで未再生のMRをなんとか乗り続けてもらいたいという気持ちで一杯でしたから」

 妻の久子さんは、夜遅くまでGTO-MRと格闘している4人の姿に感心させられた。

「あなたたちのような純粋な愛好家が世の中にいるなんて知りませんでした」

 智子さんも、なぜ山中さんたちがそこまで熱心に面倒を見てくれるのかその時はまだ半信半疑だった。

「私たちはこのクルマの価値なんてわからないから、いつも父には“売らないの? 売らないの?”と言うだけでした」

品川55

 GTO-MRには、41年分の思い出が詰まっている。

リビングルームの壁には、購入した頃に撮影した写真がパネルに引き伸ばされて掲げられているほどだ。

「ギャランには、ずいぶん遊ばせてもらいました」

 娘さんたちが小さな頃には、夫妻それぞれの郷里である茨城をはじめとしてあちこちよく出掛けた。

「このアルバムには貼られていませんけど、私たちが小さな頃にギャランで出掛けると、後ろのスピーカーがあるところ、何て呼ぶんですか? あそこに入り込むのが好きで、姉妹でよく場所を取り合っていましたよ」

 飼っていたウサギを3匹、その“スピーカーボード”に乗せて田舎に向かったこともあった。

「私が中学生ぐらいになると、ギャランはもう古くなって、父に“エアコンの付いた新しいクルマに買い替えて”と頼んでいましたね」

 昭和27年から先代が工務店を開業し、それを引き継いだ樋口さんは運転歴50年を越えるベテランドライバーだ。

「昔はエアコンがなくても窓を開ければ涼しい風が入ってくるから大丈夫だったんだよ。世の中に、こんなにクルマが増えることになるとは思わなかったなあ」

 山中さんたちの出張修理でGTO-MRは息を吹き返したが、最終的にはやはり誰かに譲ることになった。クラブ内に誰かいないか探したが見付からなかった。

鋭い加速

 山中さんは決断した。自分が面倒を見よう、と。そして、自宅ガレージにGTO-MR用スペースを作るために、持っていた3台を処分した。

 次に、品川55というナンバーを維持するために、陸運局に出掛けて所定の手続きを取った。然るべき書類を揃えて提出すれば、所有者が変わってもナンバーを変えずに済むのだ。また、前部のナンバープレートは経年変化によって数字がカスれ掛けていたので、申し込んで新調した。

 新しいナンバープレートを付けたGTO-MRは樋口さんの最後の運転で山中さんの自宅まで届けられることになった。智子さんが自分のクルマで同行し、帰りには近くの温泉で一泊してくる予定だ。GTOが好きだった次女の晶子さんは数日前に、お父さんと数時間最後のドライブをしたそうだ。

 樋口さんは自分の身体の一部のようにGTO-MRを操って都心の喧騒を抜け出した。アイドリングが高くなってしまっていて、信号で停止しているとエンジン音が目立つ。青になってスロットルペダルを強く踏み込むと勇ましい音を発して加速していく。高速道路の進入路でもスムーズに合流できる速さだ。

「そりゃ、明日から寂しくなりますよぉ」
 でも、GTO-MRがいなくなることよりも、好いて乗ってくれる人の元に行く安心感のようなものの方が大きいのではないか。

「41年乗り続けた理由ですか? 三菱のクルマが好きだからですよ。他のメーカーのクルマにないものを持っていますからね」

 サービスエリアやパーキングエリアで交代し、助手席には久子さんや智子さんが乗る番だ。GTOを知っている人たちなのだろう、停まっていても走っていても視線を強く感じる。

 国道から少し入ったところに山中さんの家はあった。広くて、ちょっと外国の家のようだ。ガレージには、エンジンを下ろされた別のGTOが置かれている。

「まずは新品のラジエーターやストラットなどを組み込んで、直していく予定です」

 すでにレストアプランができ上がっているみたいだ。GTO-MRがガレージに収められ、キーが手渡され、これで完全に山中さんのものになった。樋口さん一家の3人に湿っぽい雰囲気などまるでなく、変わった様子も窺えない。41年というのはあまりにも長いから、まだ実感が沸いてこないのだろう。

 クルマにも“第二の人生”というものがあるのならば、樋口さんのGTO-MRはとても幸せな第二の人生をスタートすることができたと言えるだろう。最初の持ち主は愛着をもってとても長く乗り続け、次の持ち主はそれ以上の愛情をもって譲り受けようというのだからGTO-MRは幸せであるに違いない。辺りはすっかり暗くなっていた。

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