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MITSUBISHI MOTORS

三代目を越えても、なお 林正幸さんと三菱デボネアV2000スーパーサルーンエクストラ(1988年型 25年33万5000km)

※お客様より「ナンバープレートも年月を感じる大切なシンボルなので掲載して欲しい」とのお申し出をいただき、ナンバーを掲載させて頂いております。

二台目はガラリと一新

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 モデルチェンジの周期が長いクルマは、一台を長く乗り続けたいと考えている人にとっては買い替えの最有力候補に挙がってくる。

 千葉県在住の林正幸さん(67歳)も、三菱デボネアの長いモデルライフを見て、1988年にそれまで乗っていたギャランΣからデボネアV2000に買い替えた。

 初代のデボネアは1964年から22年間もモデルチェンジをしなかったので、二代目となるデボネアVも長く変わらないでいてくれると当然のように考えたからだ。

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「Σも10年目を迎え、ふたりの娘たちも大きくなったので後席スペースの広いクルマをそろそろと考えていました。今だったら、グランディスやアウトランダーなどの大きなクルマを選びますが、当時は三菱ではΣが一番大きなクルマでしたから」

 しかし、デボネアといったら企業の幹部や高級官僚、政治家などが乗るクルマではないか。家族4人で乗るのにはあまりふさわしくないのではないか?

「そんなことはありませんでしたよ。確かに初代デボネアは運転手付きで乗るクルマですが、二代目のデボネアVは一般のオーナードライバー向けとしても開発されたのですよ」

 そうか! 思い出してきた。ガラリと一新されたのだった。

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「私もサラリーマンでしたから、“いつかは後ろの席に乗ろう”と思っていましたが、残念ながら自分が運転するこのクルマにしか乗っていません。ハハハハハハッ」

 林さんは黙っていると厳しそうなのに、時々、ポツッと面白いことを言って相好を崩す。

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 モデルチェンジによって、1960年代のアメリカ車のような超クラシックスタイルから、4枚のドアが大きくルーフに切れ込んだ当時最新のボクシーでクリーンなものに変わった。

 メカニズムも直列4(6)気筒で後輪を駆動するコンベンショナルなものからV型6気筒エンジンによる前輪駆動へと180度改められた。22年が経っているわけだから、同じのは車名ぐらいのもので、初代と二代目ではもうまったくの別モノだった。

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 また、初代は黒塗りがほとんどだったから、デボネアVのカタログや広告などでは白のボディカラーを強調したものが多かったのを憶えている。

 だから、林さんが新しくなったデボネアVに乗り換えたのも別におかしくはなかったのだ。林さんは今日までデボネアVを25年33万5000km乗り続けている。

「今でもよく走るし、愛着がありますからね」

消防署に消防車を

 仕事を引退してからは仲間とのゴルフに乗るのが主な使い途になってしまったが、忙しかった頃は年間3万km以上走っていた。

 林さんは自動車メーカーでトラックの車体やエンジンの設計主任を務めていた。デボネアVを購入したのはその頃で、毎日の通勤や休日のゴルフ、家族旅行やスキーにもデボネアVは活躍していた。

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「買ってすぐに家族4人で北海道を一周しましたよ。初日は青森まで高速道路を走り、そこから青函連絡フェリーで函館に渡り、大沼まで700kmも走っちゃいましたからね。後で娘たちは“ちっとも楽しくなかったわ”って怒っていました。ハハハハハハッ」

 給油と食事とトイレ休憩以外では停まらず走りっ放しだったというから、お嬢さんたちがヘソを曲げてしまうのも無理はないだろう。

「大学の自動車部で“遠征”と称して東北や西日本を一周していますから、長距離運転は苦にならないんですよ。ハハハッ」

 やがて、販売部門の後方支援を行う部署へ出向。早口言葉ではないけれども、消防署へ消防車を売り込んだ。

「千葉県は広いので、消防署を回るのにずいぶんと走りました」

 消防車は搭載するポンプを作るポンプメーカーと一緒に入札する。40メートルのハシゴ車ともなれば一台4000万円もする高価なクルマだが、林さんとポンプメーカーの営業マンの奮闘が報われ、最高で年間50台も売ったことがあるというからスゴい。

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 デボネアVには、当時は最新デバイスだったABSが装備されていた。ただし標準ではなくオプションで27万9000円もする高価なものだった。林さんはエンジニアとしての興味と関心から注文して装着したが、意図的に公道で急ブレーキを踏む危険を冒すわけにもいかずなかなかその効果を体感することができずにいた。しかし、最初の冬にスキー場の駐車場で周囲を確認して急ブレーキを踏むことができた。

「確かにギュギュッと効いてハンドル切ることができましたわ。実感したのは、それっきりです。ハハハハハハッ」

 助手席に乗せてもらって、近所を回ってもらった。ソファのようなシートは見た目も掛け心地もソフトで快適この上ない。ダッシュボードには木目パネルを張った“棚”が助手席の前に拡がっていて、現代のクルマとはずいぶんと趣を異にしている。

 おまけに静かだ。スーパーチャージャー付きV型6気筒2000ccエンジンが囁くように回転しているのは林さんの運転が穏やかなこともあるだろうが、回転が上がってもエンジン音はそれほど上がってこない。

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 途中、舗装の荒れているところや段差などを乗り越えたのにもかかわらず、サスペンションからキシミ音が聞こえてきたり、振動が感じられることもなかった。

 オーディオや空調のスイッチがストロークの大きなボタンであることや、オートマチックトランスミッションが4速であることなどを除けば、とても四半世紀前に造られたクルマとは思えない。

ミニキャブ・ミーブが欲しい

 広い庭先に戻ってきて、ボンネットフードを開けて見せてもらった。フロントグリル側から見て少し右手前にスーパーチャージャーが配置され、そこで圧縮された空気が奥のインタークーラーに流れ、その下にあるV6エンジンに送られると林さんは空気の通り道を指で示しながら説明してくれた。

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「スーパーチャージャーの中身が固着してしまった時に負担が掛かって切れたのは、このベルトですよ。見えますか?」

 2002年8月、19万4000km走行時にスーパーチャージャーをアッセンブリー交換した。「走っていて、加速に力がなくなって調べてもらったら、ベルトが切れていました」

 林さんのデボネアVは、購入後7年7万5740kmを経過した時にサビたマフラーを交換した以外、ずっと丈夫にトラブルなく走り続けてきた。そのペースが変わったのが、この14年19万4000kmでのスーパーチャージャー交換だ。その後、間隔を置きながら、スターターやABSセンサー、エンジンのバルブステムシール、リア左ショックアブソーバー、オルタネーターなどを交換してきている。

「ここは直して、この辺は交換したのかな」

 7年7万7000kmで、林さんは正面衝突の事故を被った。渋滞した対向車線から飛び出してきた若者のクルマが停まれずブツかってきたのだ。林さんは気付いたので停止できたから被害が軽減されたようなものだが、デボネアVのフロント部分は大破し、修理に120万円も要した。幸い、林さんの身体に被害はなかったが、不誠実な相手は対物保険でカバーできない部分の弁償を怠ったままである。災難だったとしか言えない。

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 リアシートにも座らせてもらった。助手席以上にフンワリと感じるシートで、腰が沈み込みながら支えてくれる。こういうタイプのシートは少なくなった。膝の前や頭上空間はタップリとしていて、これならば長距離を走ってもゆったりと寛げるだろう。

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 嘱託としての勤めからも退き、最近のデボネアVの走行距離は月間200km程度と少なくなった。自治会長として地域を回る際にはもっぱら三菱ミニキャブトラックに乗っている。狭いあぜ道などでは使いやすいからだ。

「この間、デボネアVでゴルフに行く時にこのルームランプが突然落ちてきたんですよ。仲間はビックリしていましたね」

 固定していたツメが緩くなってきているのだろう。ハメ直して事無きを得た。

「デボネアVにはパーツが手に入らなくなるまで乗り続けるつもりです。今はまだ大丈夫です。それよりも、ミニキャブ バンの電気自動車が欲しいですね」

 林さんの目論見と違って、デボネアVは6年でモデルチェンジしてしまった。でも、仮にデボネアVが初代デボネアと同じ22年間造られ続けたとしても、林さんはそれを越えた期間以上乗り続けていることになる。さらに言えば、3代目デボネアのモデルライフも越えているのだ。“長く造り続けられるクルマに乗る”のではなく、“長く乗り続けるスタイル”なのだ。林さんのデボネアVへ寄せる愛着はまだまだ続く。

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