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MITSUBISHI MOTORS

熱中時代 矢木雅人さんと三菱ミニカ・ダンガン(1990年型 23年20万1000km)

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

ドライブラリーをご存知ですか?

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 かつて流行していた「ドライブラリー」をご存知だろうか。

 文字通り、娯楽としての“ドライブ”とモータースポーツとしての“ラリー”を足して二で割ったようなゲームだ。

 ドライブラリーはモータースポーツ雑誌の読者参加企画として始まったもので、1990年代には複数の雑誌でも展開され、最盛期にはタバコ会社のプロモーションツールとしても使われていたほど流行していた。

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 まず、雑誌に舞台となるルートが発表される。全国どこかで設定され、スタート地点とゴール地点も明らかにされる。

 各コースだいたい100キロ前後で、北海道だけ例外的に200キロ。イラストによる道路図と曲がる地点を示すコマ図の両方がページに掲載され、その通りに走る。

 参加者は、そのふたつを頼りにコースを走り、スタート地点からゴール地点までに設けられている幾つものチェックポイントの間の距離を測る。モータースポーツのラリーのように速さを競うものではなく、あくまでもコマ図の通りに走り、走行距離の正確さを競う。コースを設定したクルマの走行距離が正解とされ、最初の区間だけは正解が示してあるので、それを基に他の区間の距離数を申告し、正解に近い者から順位が決まる。道中には実際に走らなければ解けないクイズも併せて設定されている。

 コマ図の通りに走れば全員が決まって同じ距離が出るというものでもないところがミソで、そこがゲームの醍醐味になっている。

 コース設定を行ったクルマとの違いや、細かく言えば車線内のどこを走ったかによっても違いは出てくる。でも、そこがかえってゲームの妙味を高めてもいる。

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 矢木雅人さん(52歳)はドライブラリーに熱中して、この32年間で約800のドライブラリーを走っている。始めたのは学生時代で、乗っていたのは三菱ランサー・ターボだった。

 その次に1990年に購入した三菱ミニカ・ダンガンは現在まで20万1477kmを走行しているが、そのほとんどをドライブラリーのために走っているというから驚かされる。

「盛んな時には、ほぼ毎週末、どこかのドライブラリーに出掛けていましたよ」

 その月のコースが近県ならばいいけれども、遠くの場合だってある。コースを走るのは100kmだけれども、そこへの往復もミニカ・ダンガンで走るのだから、距離が伸びてしまうのも無理はない。当時は年間3万kmを越えるペースで走っていた。

 コースは毎月、全国各地に設定されたから、遠くまで走っていかなくてはならないこともあった。

 岩手県の平泉のコースを走った時などは、往復で2300km。金曜夜に出発し、土曜日に現地に到着、コースを走って周辺を観光。そのまま車内で仮眠を何度か取りながら戻ってきた。ホテルなどには泊っていない。

 北海道などは空いている時期を狙って出掛け、一週間で10本ほど走ったりしていた。

 若かったから可能だったということもあるだろうけれども、いかに矢木さんがドライブラリーに熱中していたということがよくわかる。

拡がる景色と緊張感

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 そこまで熱中する魅力は、どこにあるのだろうか?

「コースがどんなところなのか、全国地図を広げて想像しながら、行ったことのない土地を訪れる楽しみが大きかったです」

 最終的に、矢木さんは沖縄県を除くすべての都道府県をミニカ・ダンガンで走ることになる。

「地図で道順はわかりますが、その想像を越えて、眼の前の光景が予想もしていなかったようなかたちでパッと大きく拡がる瞬間がたまりませんね」

 この喜びには僕も大きく共感できる。たとえドライブラリーでなくても、クルマの旅の醍醐味のひとつはクルマが景色を切り開くようにして次々と眼の前に大きく展開されてくる点だ。

 ドライブラリーに魅せられる、もうひとつの理由を矢木さんは“緊張感”だといっている。

「コマ図に従って、コースを間違えないよう走っていく緊張感がたまらないですね。ただ、景色のいいルートを走る“ドライブ”との違いです」

 ゲームとしての緊張感が伴っていたからこそ、矢木さんも長年にわたって楽しみ続けることができたのだろう。

 雑誌類のほとんどは休刊となり、タバコ会社のプロモーションも行われなくなった。しかし、愛好者たちがそれぞれインターネット上にサイトを構築し、ドライブラリーを楽しんでいる。

 矢木さんは、2003年からは三菱eKスポーツでドライブラリーを走るようになった。こちらでも年間2万5000kmを走ったというから、相変わらずのペースだ。

気筒あたり5バルブのハイメカニズム

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 ミニカ・ダンガンは、自宅近くの駐車場に停められていた。春の陽射しを浴びて、鈍い緑色に輝いていた。本来はもっと明るい緑色で、ツヤがあって光っていたはずなのだが、経年変化でくすんでしまった。サビも隠せない。開けたドアの内張り材が剥げている。指で触れると、ポロポロと粉のように細かくなって落ちていく。

「開発担当者に文句言いましたけれどもね。ハハハッ」

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 矢木さんはかつて三菱自動車工業のエンジニアだった。エンジンの始動性とドライバビリティ、排ガス規制などのキャリブレーションが主な任務で、なんとミニカ・ダンガンも担当していた。

 当時、軽自動車の規格が変更になったり、マーケットでのライバル車との競争が激しくなっていったりした。

「開発をしているので、新型車の存在と投入時期は遅くても半年以上前からわかります。最初は、このクルマの550ccのバン仕様を買うつもりでした」

 しかし、税制変更ですぐにセダン版が出ることを知ったので少し待つ間に、今度は新規格の660cc版が追加されることを知った。さらに、そのターボエンジン版と買うべきクルマが次々と現れてきて買いそびれ、最終的に660ccのターボエンジンを搭載した4輪駆動版という最も高性能なものを購入できたのは2年近く経ってからだった。おまけにそのエンジンは気筒あたり5バルブという、複雑精緻なメカニズムを備えていた。

「2バルブを4バルブにすると性能向上は著しいですが、4バルブを5バルブにしてもそれはそれほど大きくはなりません」

 そんなことは三菱自動車の技術陣には分かり切っていることだった。下手をすれば、複雑で重くなり、部品点数も増えるというデメリットの方が勝ってしまうかもしれない。それでも断行されたのは、ライバルとの戦いがマーケットで激しさを増していき、デメリットを克服することで「技術によって優位に立ち、同時に顧客満足度も高めよう」という彼らの強い意志の現れだった。軽自動車のスポーツモデル同士がマーケットでしのぎを削った揚句に専用エンジンまで開発されるなど、今ではちょっと想像できない。そういう時代だったのだ。

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 開発中から、矢木さんもミニカ・ダンガンの魅力に惹かれていった。

「入社するまで、軽自動車なんて眼中にありませんでした。ランサー・ターボの次に乗りたかったのはギャランVR-4でしたし」

 それが、より高性能なVR-4ではなく、むしろ反対方向のミニカ・ダンガンが欲しくなったのは、ミニカ・ダンガンやそのライバル車などで山道を走ったからだった。

「山道を自分の思うままに走れる気持ち良さに目覚めてしまったんですよ。ギャランVR-4は確かに高性能で速いのですが、ダンガンの方が自分が操っている感覚が強く、一体感もとても大きかったです」

 ミニカ・ダンガンに乗った時の驚きは僕もよく憶えている。その名前のように鋭くダッシュして、4輪駆動を活かして路面を離さないでコーナリングしていくのが印象的だった。

「コーナリングはライバル車の方が優れていたんですよ。ハハハッ。ダンガンは直線での加速が良かったですね。でも、ライバル車はエンジン制御がうまくなくて街中ではギクシャクしていました。そこは私たちはしっかりとやりました」

動態保存状態です

 矢木さんは子供の頃から、初代コルト・ギャランやギャランGTOなど三菱のクルマが好きだった。将来は父親の後を継いで自動車整備士になるつもりだったが、直す方ではなく造る方に就きたくなった。その目的のために大学の工学部に進んだほどだ。

「石油ショックや排ガス規制などが続き、エンジンに厳しい時代でしたから、燃焼工学を専攻してそれらの課題を解決できるようになりたいと考えていました」

 三菱自動車では前述のエンジンの各種適合業務を担当した。今でも続けているドライブラリーに熱中し、学生時代から乗っていたランサー・ターボからミニカ・ダンガンに乗り換え、その距離計の数字は20万kmを越えた。15万kmを越えてからは三菱RVRや他のクルマとの2台態勢にしてダンガンの距離が伸びるのを抑えた。

 勤務先は二度変わり、自動車部品メーカーで三菱以外のクルマのキャリブレーションを数多く担当したが、三菱車好きは変わらず、今はパジェロミニとeKスポーツでドライブラリーを続けている。病気をして仕事を辞め、今年に入ってから受けた手術も幸いにうまくいった。その間はさすがにドライブラリーは休んでいたが、またすぐに復活し、月に1、2回は走りに行っている。

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 助手席に乗せてもらって、走り始めた。眼の前のラリーコンピュータが厳めしい。もちろん、ドライブラリーで走行距離を正確に測るためのものだ。金属ステーを加工して自分で取り付けた。

 運転席のシートはレカロ製に交換してある。長い距離を走ると腰が痛くなるからだ。

「シートの設計者に文句を言ったら、“軽自動車で一気に200km以上走る人なんていませんよ”と呆れられました。ハハハッ」

 公園の駐車場に停めると、矢木さんが「一気筒失火気味かもしれない」と言う。

「ECUの寿命か、ディストリビューターからのコードが断線しかけているのかもしれませんね」

 ディストリビューターから点火プラグに結ばれているコードは走行10万kmの頃に切れたことがある。現在のECUは3台目。20万kmの少し前にオルタネーターのブラシが磨り減ってしまって発電せず、高速道路上でエンジンが停まったこともある。

 20万kmを越えたのが2001年だから、以後10年以上に渡って「動態保存状態です」。

 パジェロミニとeKスポーツでドライブラリーに出ているのだから、ミニカ・ダンガンはとっくの昔にその役割を終えているはずである。それにもかかわらずに、矢木さんはミニカ・ダンガンを大切にしている。ドライブラリーの記録もキチンと整理して保存してある。

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「思い入れだけで取ってあるようなものです」

 そう謙遜しながら持ち続ける理由を説明してくれるけれども、僕には誇りと自信のたまものにしか思えない。

 時代が違ったと言ってしまえばそれまでだが、軽自動車にもハイメカニズムを投入して競った時代。そして、自らが開発に携わったクルマで全国をドライブラリーで走り回った。

 巡り合わせなのかもしれないけれども、開発者でそこまで仕事の成果を仕事を離れて確かめた人はいないだろう。矢木さんは謙虚な人だから決して自分の口からそうは言わなかったけれども、彼がハイペースでミニカ・ダンガンを走り尽くし、それでも手放さないのは矜持そのものだと僕は思っている。

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