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MITSUBISHI MOTORS

奇跡のような再会劇 平本英人さんと三菱ミラージュ・スーパーアスティ(1994年型 10年3万6000km)

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

コイン洗車場でバッタリ

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 一度手放したクルマに再び乗るのは稀なことだ。

 まず、クルマ好きならば他のクルマに乗ってみたくなるのが人情だろうし、乗ろうと思っても生産が終了していることもある。

 平本英人さん(41歳)は、三菱ミラージュ・スーパーアスティに10年3万6000km乗り続けているが、このクルマは2台目なのである。

 驚かされるのは、スーパーアスティといえば1994年の1月から3月の3か月間だけしか造られなかったミラージュ・アスティの限定車だということだ。

「ディーラーの営業マンや雑誌の記事によると、青色の生産台数は最終的に100台程度だったそうです」

 とても数が少ないクルマなのに、2台目。

「ええ、私も四国の道後温泉の近くで青いのに擦れ違ったことが一度だけあるだけです。向こうも気付いていましたね」

 黒いボディのスーパーアスティにも平本さんは擦れ違っていたかもしれないのだが、黒はスーパーアスティではないアスティにも設定されているので、その時は認識していなかった。

 そんなに数が少ないクルマに2台続けて乗っていることも珍しいのに、さらにビックリさせられるのは、平本さんの2台目のスーパーアスティはかつて知っている人が乗っていた個体だということが購入してから判明したのである。

「その人とはコイン洗車場で、偶然に一回会っただけなんですよ。同じ歳ぐらいで、どんな人なのかも知りません」

 大学を卒業して広告制作会社に勤務していた時に住んでいた大阪のワンルームマンション近くのコイン洗車場だ。

 珍しいクルマだということはお互いによくわかっているので、その場で意気投合した。

「興奮して、近くのコンビニで使い捨てカメラを買ってきて撮ったのがこの写真です」

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 住所を交換して、別れた。

「でも、年賀状を3回やり取りしただけで、会ったのはその時一回だけでしたね」

 使い捨てカメラといい住所交換といい、時代の流れを感じさせられる。今なら、携帯電話で自撮りして、その場からフェイスブックやツイッターなどに投稿するところだろう。

写真に写っていたクルマそのもの

 平本さんは、現在、奈良県で歯科技工士業を営んでいる。仕事場を見せてもらったが、デジタル化の進み具合に目を見張った。義歯の元となる型を3次元スキャナーでデジタルデータ化し、その通りに削り出されていく。超精密な3Dプリンター、ということである。

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「人間よりも精密に削り出せます」

 サラリーマン生活を数年間送ってから技工士の専門学校に入った。奥さんは同級生。長男の束早(つかさ)君は7歳。次男の隼士(はやと)君は4歳。郊外の新興住宅地に居を構え、その一室を仕事部屋にしている。スーパーアスティは平本さんが、奥さんは三菱i-MiEVに乗っている。

 2台目のスーパーアスティと邂逅したのは、近くを軽自動車で走っている時のことだった。

「いつも前を通る板金工場があるのですが、そこに置かれた修理中の何台かの間から、このクルマのリヤフェンダーの辺りがチラッと見えたんです。ええ、すぐにわかりました」

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 1台目のスーパーアスティを7年7万km乗っていたから、部分的に見えただけでも即座に認識できたのだ。

 工場に飛び込んでみると、オークションで10万円で仕入れてきたばかりだという。屋根にサビが出ていて、これから工場で板金修理して売られる。

 車両代金が10万円、板金修理代金が20万円、合計30万円で平本さんが買った。

「書類を確認してみたら、コイン駐車場で会った人のクルマだったということがわかって、ビックリしました」

 さぞや驚いたことだろう。

「造られた台数が少なくて、再び手に入れることは絶対にできないだろうと諦めていましたから喜びは大きかったですよ。それも、この写真に写っているクルマそのものですからね」

 偶然以外の何ものでもないが、見逃さなかった平本さんとスーパーアスティとの縁の強さを思い知らさせる。

結婚願望

 ここでおさらいしておくと、ミラージュ・スーパーアスティというのは、ミラージュシリーズの2ドアクーペである「ミラージュ・アスティ」の「RX」グレードに専用装備とナイルブルーという専用ボディカラーを施した期間限定生産車だ。専用色ではない黒もあった。

 専用装備とは、大型のリヤスポイラー、プロジェクターフォグライト、ワイパーフィン、MOMO製ステアリングホイール、フルオートエアコンなど。

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 エンジンは1.6リッター4気筒DOHCの「MIVEC」。高回転域でカムが切り替わり、最高出力が175馬力/7500回転、レッドゾーンは8250回転からという高回転高出力型。当時の三菱自動車を代表するスポーツユニットだ。

 ちなみに、平本さんにお会いした後、三菱自動車に生産台数を調べてもらったら、93年12月に300台、94年3月に200台の合計500台だった。その内訳は、MTのナイルブルーが97台、ピレネーブラックという黒が241台、ATのナイルブルー67台、黒が95台だった。平本さんのと同じナイルブルーは合計164台だから、極めて数が少ない。

「100万円を握りしめて、“アスティください”って買いに行ったんですよ」

 平本さんが買うつもりだったアスティのエントリーグレードに相当する“V”は、1300ccエンジンに5段MTの組み合わせで、価格は97万円。

 当時のカープラザ富田林店を訪れた平本さんに応対した営業マンは別のグレードを勧めた。

「お客様、もっと珍しいクルマがありますよ」

 展示車もなく、目の前で拡げられたカタログから想像するしかなかったが、平本さんはひと目で気に入ってしまった。100万円を支払い、スーパーアスティとの差額87万8660円のローンを組んだ。

 この時、平本さんは18歳の大学生。最初のクルマがスーパーアスティとなった。

「今と違って、あの頃は18歳になるとみんなクルマを持とうとしましたね」

 日本の自動車メーカー各社はそれに応えるべく、ちょっと無理すれば若者にも手が届くスポーティなクルマをいつもラインナップしていた。

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「他人が乗っているクルマに乗るのはイヤだったんです。アスティを選んだのは、ミラージュのハッチバックモデルや4ドアセダンと較べて、2ドアクーペのアスティは“いいとこ取り”をしているからでした。ホイールベースが短いのに加えて、室内高が高いんです」

 その頃の平本さんには夢があった。

「結婚願望が強かったんです」

 結婚願望!?

「ええ。自分のクルマの助手席に妻を、後席に子供たちを乗せて楽しくドライブしているイメージをずっと抱いていました」

 アスティはハッチバックよりも5ミリ、セダンよりも10ミリ室内高が高い。ホイールベースはアスティとハッチバックは2440ミリと同一で、セダンは2500ミリと60ミリ長い。

「室内高が高い方が車内空間に余裕が生まれますし、ホイールベースが短い方が峠道などでキビキビと走ってくれますから、アスティは私の理想にピッタリでした」

 スーパーアスティは平本さんの期待に応えてくれた。

「初心者でしたけれども、エンジン回転の吹け上がりとレスポンスの良さは実感できました」

 大学の友人に誘われて、ジムカーナに出場したことがあった。

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「ミスコースを連発してしまいましたが、真ん中ぐらいの成績だったのはスーパーアスティの性能と扱いやすさのおかげでしょうね」

 キャンプにも、よく通った。

「リヤシートの背もたれが前に倒れてトランクスルーになることもあって、荷物は意外にたくさん積めるんですよ」

 4メートル×8メートルの大型テントとその他のキャンプ道具一式を積み込めるから、今でも重宝している。

三度の板金修理を越えて

 走らせればスポーティ、実用性も高い。とても気に入っていたのに、平本さんは7年間で7万km乗っただけで手放してしまった。ECU(エンジン・コントロール・ユニット)の故障が理由だった。

「アイドリングが不調になり、エアコンを入れるとエンストしてしまうようになりました」

 ディーラーで診てもらうと、ECUが原因だが交換して完治するかどうかわからないと言われた。パーツ代は7万円。

「当時はまだインターネットも一般的でなく、相談できる知り合いもいませんでした。悩みながらダマしダマし2か月乗って手放すことにしました」

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 スーパーアスティを下取りにして、平本さんはミニバンを買った。

「各社からミニバンがいろいろと発表されて、一度、乗ってみたくなったのです」

 そのミニバンは燃費以外に悪いところはなかったのだが、スーパーアスティで感じていた小さなクルマをMTでキビキビと走らせる感覚は当然望めなかった。ほどなくして、平本さんは軽自動車のスポーツカーを追加購入した。

 その軽自動車で走っている時に、2台目のスーパーアスティが板金工場に停まっているのを見付けたのだ。

 購入する時に板金修理してもらったが、半年後にまた屋根の同じ部分がサビた。

「屋根の右側から左側に掛けて、前後に何カ所かサビが規則的に内側から浮き出てきました」

 きちんと修理してもらったのにもかかわらず、屋根のサビはなんとまた1年後にも現れてきたのである。

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「原因はわかっていました。屋根の鉄板と内側の筋交いを接合しているゴムのような緩衝剤が車内の湿気を吸収して、そこから屋根を内側からサビさせていたのです。このクルマだけの症状ではなくて、この時代の他の三菱車にも発症しています。今ではネットで例が出ているほどですが、当時はすぐにはわかりませんでした」

 3回目の板金修理は、インターネットで見付けた大阪の寿自動車という工場で行った。ここのブログを見て依頼する気になった。時代は変わって、インターネットは欠かせないものになったのだ。

 屋根は全体的にサビてしまっていたので、三菱自動車から屋根をパーツで取り寄せることになった。2台目からは、奈良三菱自動車販売の西大和店に通っている。

「他にも、マフラーの板金修理をお願いしたり、デカールを取り寄せてもらったりしています。“欲しいパーツがあればいつでも言って下さい。探しますから”と店長の前川さんはいつも気さくに言ってくれて助かっています」

 この時は、細かい凹みや傷などがあったドアやフェンダーなど、ボンネット以外はすべて塗装と板金も一緒にやり直したので、費用は総額40万円にも上った。2回目の板金修理でも20万円ほど費やしていて、その他の出費も合計すると軽く100万円を超えている。

「1台目の7万円のECU交換代が払えなかったのに、このクルマには100万円以上も注ぎ込んじゃってます」

 学生にとっての7万円は大金だったのに対して、今は歯科技工士として成功しているという境遇の違いは大きい。

 しかし、それ以上に、一度手放してしまったクルマと同じものを奇跡的な縁で入手できたことの喜びが平本さんの情熱を掻き立てているに違いない。

「1台目を手放してしまったことを、ものスゴく後悔していたんですよ。絶対に手に入れられないだろうと諦めていたクルマと、すぐ近くで巡り会えたのですから。それも知っているクルマですよ。1台目を買った時のうれしさがずっと続いています」

 もちろん、今度は手放さずにずっと乗り続けるつもりだ。

「ABSもエアバッグも付いていない、今となっては古い時代のクルマですが、自分の青春の日々の思い出が詰っていて、代わりが効きません」

 一度手放したクルマは、奇跡とともに大きな喜びをもたらしてくれたのだった。

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