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MITSUBISHI MOTORS

忍者のようにパパパッ、と 窪田洋一さんと三菱デリカバンGL(1984年型)34年11万2000km

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

ミニカ71も持っている

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三菱デリカバンに乗り続けている窪田洋一さんと会うのは、久しぶりだった。この連載の第5回目に登場いただいた三菱ミニカオーナーの細倉富未夫さんの取材に同席いただいたからだ。

「ウチのミニカのことだったら、窪田さんの方が詳しいから」

窪田さんは自身でもミニカ73を持ち続け、細倉さんご夫妻から大きな信頼を得ていた。細倉さんがミニカを乗り続ける上で困ったことがあると、窪田さんが相談に乗り、問題を解決していっているようだった。
その時の窪田さんの印象は、マニアにありがちな偏狭なところがまったくなく、どんな人とも分け隔てなく接することのできて、面倒見の良い人というものだった。
最近では、地元の痛車イベントに積極的に協力するなどして地域活性化のための活動を手伝っている。やはり、そういうところが窪田さんらしいと思った。

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デリカバンを見せてもらうのは初めてだった。お父さんとの親子共同所有だ。直線基調のデザインが施された、この世代のデリカは街で良く見掛けていたから、懐かしい。グリーンのボディカラーも流行っていた。同じ色のデリカワゴンに友人の父親が乗っていて、スキーに連れて行ってもらったことを憶えている。

「ちょうど、“第1次キャンプブーム”と呼ばれていた頃でした。山奥に入れて、車中泊もできるクルマに換えたくなっていたのです」

窪田家では、三菱ミニカ71のあとに、ミニカ73を現在も持ち続けながら、ギャランFTO、ギャランシグマと三菱のクルマを乗り継いできた。他メーカーのオフロード4輪駆動車にも乗っていた。まだ、“SUV”という言葉が生まれる前の時代だ。

「キャンプ仲間が次々とパジェロなどに乗り換えていっていました。ウチの4駆は排気量が1000ccしかなく、遅くて、みんなのクルマに付いていけなかったから、“ウチも買い換えたいな”と願っていました」

デリカの4輪駆動の4ナンバー1800バンが2000ccエンジンにマイナーチェンジされると知った窪田さんのお父さんが契約した。

「ワゴンを選ばなかったのは父の節約志向で、ディーゼルを選ばなかったのは父のディーゼル嫌いからでした」

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構造変更検査

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ご覧の通り、窪田さんのデリカのフロント部分には、黒いグリルガードが取り付けられている。これもオプションで取り付けるのが流行っていた。でも、みんなが付けていたものよりもバーの径が太く、塗装の艶消し具合もちょっと違うように見える。

「メーカーオプションに似て見えますが、これは自分で造って組み付けたものなのですよ」

窪田さんは金属加工の会社に勤めているから、こうした作業はお手のものだ。

「危険防止のために、オーバーライダーも取り付けて、グリルガードはそれよりも少し内側に組み付けてあります」

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フレームへの取り付け位置などもオプションのものに準じている。
それにしても、当時はこうしたモディファイに厳しかったはずではなかったか。社外品のアルミホイールに交換しただけでも、構造変更申請を必要としたくらい厳しかったと聞いたことがある。

「車検の際に、併せて構造変更の申請をして、それが認められたんですよ。車検証にも、このように記載されています」

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車検証を見せてくれた。

「その辺はいい加減にしたくなかったので、キチンと準備して申請に臨みましたよ」

そうだったのか!
窪田さんらしい。

でも、構造変更申請は大変ではなかったのか。ましてや、1980年代のことだ。

「大変でした。提出した書類が最終的にこのぐらいになりましたから」

と言って、窪田さんは親指と人差し指で数センチの厚みを示した。
構造変更申請とは、クルマの構造に相当する重要な部分を変更しても安全性がノーマルの時と変わらずに走行できるということを陸運局に証明することだ。それを説明した書類を作成して提出し、クルマを見せながら係官に口頭でも説明しなければならない。

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具体的に窪田さんのデリカバンの場合には、自作したグリルガードとテールゲートのタイヤキャリアの取り付け、牽引用ピントルフックの取り付け、それらに伴う全長を3.9メートルから4.35メートルへの延長、乗車定員を4名750kgから5名400kgへと変更することなどだった。

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鉄板の厚みなど部材各部の寸法、溶接の方法、強度証明などすべての部位の構造と変更についての説明を記した書類を図面とともに作成した。
そのためのマニュアルがあるわけではないから、係官にわかってもらえるように念入りに書いた。

「でも、それは僕ひとりでやったわけではないんですよ。詳しく教えてくれる人がいたんです」

無線アンテナでつながった

中村彰宏さんとは、アマチュア無線の“アンテナで”知り合った。

「デリカを買う前に乗っていたギャランFTOにアマチュア無線のアンテナを付けていました」

これも良く見た光景だ。釣竿のように長く、良くしなるアンテナを立てたクルマが珍しくなかった時代が長く続いていた。窪田さんも、そうしていた。
中村さんはパジェロにアンテナを立てていて、共通の知り合いが声を掛けて集まったBBQでふたりは知り合った。長いアンテナを立てている者同士、すぐに打ち解けてコールサインを交換した。
それから、無線機を通じて話すばかりでなく、よく一緒にBBQやキャンプに出掛けていた。

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中村さんはその頃、静岡三菱自動車販売株式会社に勤めていた。窪田さんの父親と同じ歳だったが、親しく付き合った。
窪田さんがデリカをより使いやすくするために構造変更を思い立ち、相談に乗ってもらったのが中村さんだった。

「申請のために何をどう書類にしたらいいのかわからなかった僕に、中村さんは丁寧に教えてくれました」

中村さんだって、構造変更申請を仕事にしているわけではないのだが、持っている知識と経験を窪田さんに授け、一緒に考えてくれた。

「いま、このデリカをこうして乗ることができているのも中村さんのおかげです。恩人ですよ」

幸いに、審査は一回で通った。車検証の備考欄に「[静岡],構造等変更検査」と記された。1991年のことだった。

3輪バギーを牽引していた

他にも、窪田さんのデリカには自身によって手が加えられている。車中泊のためにシートとフラットにつながるような台を設け、その下を収納スペースにしてある。
テーブルや小物入れなどは木材で造った。シートやフロアマットなどは不動車となったデリカワゴンのものをもらって付け替えた。

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そうして、デリカを自分だけのものにしていった窪田さんは、毎週末のようにキャンプなどのアウトドア活動に出掛けていた。
フィールドの奥深くまで分け入っていくこともあったから、そうしたモディファイは飾りではなくて、クルマと乗員をリアルに守るためのものだった。

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当時の写真を見せてもらうと、それが良く表れていた。山が迫って見える河原に窪田さんのデリカとショートボディのパジェロが停まって、その前で仲間でBBQをしている。BBQの炎が見えるから、真っ最中なのだろう。中には、中村さんと窪田さんのお父さんが楽しそうに並んで談笑しているものもある。
デリカのテールが開いて車内が見えていて、フラットな床と床下収納が確認できる。
さらに見ると、デリカは赤い台車のようなものを牽引している。

「これを乗せて持って行っていたんですよ」

そう言って、窪田さんが別のカットを見せてくれたのは、3輪バギーだった。公道でないところでしか乗れないレクリエーション用だ。だから、台車に乗せて運ばなければならない。

「ここはもう砂浜ではなく、今は開発されて道路になっているんですよ」

3輪バギーもしばらく家に置いてあったが、もうないという。
写真には、楽しそうに休日を戸外で過ごしている若者や子供たちもたくさん写っている。

「懐かしいなぁ。ここに写っている人たちは、今ではみんなオジさん、オバさんですよ。ハハハハハハッ」

それは僕らも一緒ですね、ハハハハハハッ。

水平じゃないと嫌

「このデリカを仕上げていくのには、あるイメージを持っていたんですよ」

どんなイメージなのでしょうか?

「忍者のように、音も立てずに、崖の上でも水の中でもパパパッと走り抜けるイメージです」

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たしかに、忍者はどんなところでも軽快に移動してしまう。ボルダリング選手のように天井にへばり付いたり、水遁の術を使って水中だって移動できる!
このデリカだったら、悪路や不整地、悪天候の中、雪道、石や岩が連続するこの河原のようなところでも軽やかに走ってしまうことだろう。

「このクルマが発表された後から、他のメーカーからワンボックス型の4輪駆動車が発表されましたが、デリカと比べるほどのものではありませんでした」

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デリカはパジェロやジープのような頑丈なフレームの上にワンボックスボディを架装し、副変速機を備えた本格的な4輪駆動システムを備えていることが、他のクルマとは決定的に異なっている。

高台の公園に連れて行ってもらった。

「パワーがないから、登りでは加速しなくて苦しいですね」

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追い付いてきた後続車をミラーで認めると、3速から2速へシフトダウンし、道幅の広いところで左に寄って、進路を譲った。

「遅くても、走り続けていれば必ずいつかは目的地にたどり着ける。だから、遅くても別に構わないんですけどね」

いつも思っている何気ないひとことなのだろう。クルマを運転することや、大袈裟に言ってしまえば生きていくことの本質をズバリと突いていて、僕はうなってしまった。

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もう若い頃のようにフィールドに出掛けなくなってしまったから、デリカの走行距離も格段に減ってしまった。

「遅かったり、クーラーの効き方が弱かったりしてウンザリさせられることもあるけれども、フレーム付き四駆のワンボックスなんて他にありませんからね」

デリカはモデルチェンジを重ねて今年で50周年を迎えたが、窪田さんはこの世代のデリカが最も好みに合う。

「窓ガラスの下の縁が水平じゃないと嫌なんですよ。ハハハッ」

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デザインの好みもハッキリしている。ノーズの出っ張りのないキャブオーバー型ボディで4ナンバー仕様の副変速機付き4輪駆動。たしかに、窪田さんのデリカバンは独特な内容を持つ孤高の存在だ。

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