1st 1982~1990

2nd 1991~1998

3rd 1999-2005

4th 2006-

SUVという領域を新たに切り拓く先駆者となる。

力強い走りと乗用車感覚の快適性を併せ持った多目的4WD車として、1982年にパジェロは誕生した。4WD車というジャンルやSUVという領域が世の中で確立され始めた頃であり、オフロードでの優れたハンドリングと乗り心地のよさを追求するために、リヤサスペンションにコイルスプリングを採用したその開発理念に多くの注目が集まった。そして、SUV車として数々の伝説を刻み続ける物語がここから幕を開ける。

オンロードとオフロードの壁を超えていく存在。

第一世代が誕生してから9年後の1991年、パジェロは進化と呼ぶにふさわしいモデルチェンジとアップグレードを見せ付けた。開発理念をさらに具現化した、世界初のスーパーセレクト4WDシステムなどの高度な技術とデザイン。そして、それらはドライバーの可能性を広げ、“パリ~ダカール・ラリー”での市販車ベース車両で優勝という輝かしい実績で証明される。この証明がパジェロを求めるドライバー層を大きく広げることとなった。

さらに深まる進化。それが、4WD SUVの基準となる。

1999年、パジェロはさらなる進化の道をたどる。そこに込められた想いは、ドライビング品質の向上。タフな走行にも耐え抜く強靱なモノコックボディとオン/オフロードを問わず、最高のパフォーマンスを実現する4輪独立懸架サスペンションによりラグジュアリーな乗り心地を実現。加えて、運転席/助手席SRSエアバッグシステムなど安全装備を全車に標準装備。走りと安全の両面での進化が、4WD車の基準となる。

時代が求めている4WD SUVで、時代の向かうその先へ。

2006年、第四世代となるパジェロを発表。慣れた道すら特別なものに感じさせる繊細な進化。ベーシックな部分、小さい箇所、それらを洗練させることで、ボディの強靱さを実現。そして、約4年ぶりとなるディーゼルエンジン車の復活という大胆な進化。地球を愛し、走り抜けることがすべての原点となるパジェロにとって、優れた環境性能はベストマッチング。SUVの先駆者としての力強い走りと、環境に対する高い理想を持ちながら、時代の先へと走り続ける。

Dakar Rally Challenge

  • 19831983
  • 19841984
  • 19851985
  • 19861986
  • 19871987
  • 19881988
  • 19891989
  • 19901990
  • 19911991
  • 19921992
  • 19931993
  • 19941994
  • 19951995
  • 19961996
  • 19971997
  • 19981998
  • 19991999
  • 20002000
  • 20012001
  • 20022002
  • 20032003
  • 20042004
  • 20052005
  • 20062006
  • 20072007
  • 1983年 第5回 ダカール・ラリー

    市販車無改造クラスで初エントリー。1983年大会の総走行距離は約12,000km。主戦場となる広大なサハラ砂漠は、市販車と大差のない市販車無改造クラスの競技車にとって非常に過酷なラリーであった。しかし、A.コーワンが駆る『パジェロ』は、市販車無改造クラスでありながら市販車改造クラスのマシンをもリードして、初出場にして見事にクラス優勝。総合でも11位に入る快挙を達成。これで一躍、『パジェロ』の名は世界に知れわたることとなった。

    ■総合11位、クラス優勝(市販車無改造クラス)+マラソンクラスでも優勝。

    アンドリュー・コーワン/コリン・マルキン

  • 1984年 第6回 ダカール・ラリー

    市販車改造クラスで参戦。前年の経験をもとにサスペンションの強化や軽量化が図られ、20日間、約12,000kmの戦いでその優秀性を実証した。ルートはサハラ砂漠を縦断し、コートジボワール、ギニアを通過する前回大会よりも南下したコース設定で行なわれた。パジェロは、プロトタイプクラス(改造無制限)のポルシェやレンジローバーにも引けをとらない速さと圧倒的な信頼性を武器に、参戦2年目にして総合3位の表彰台を獲得。当然ながら、市販車改造クラスでは優勝を果たし、『パジェロ』の総合性能の高さを世界に知らしめた。

    ■総合3位(市販車改造クラス優勝)
    アンドリュー・コーワン/ジョンストン・サイアー

    ■総合7位 H.リガル/フォーティコ

  • 1985年 第7回 ダカール・ラリー

    プロトタイプ(改造無制限)クラスで参戦。搭載されるエンジンは2.6Lながら230PSを発生。最高速度は200km/hを超える。ボディは軽量なFRP(強化樹脂)製とし、車重は前年の約200kg減の1,200kgに。コースはサハラ砂漠を縦横に走行する非常に過酷な設定となったが、プロトタイプに進化した『パジェロ』は最大のライバルであるポルシェ勢がメカニカルトラブルで全滅する中、最後まで走りぬき、P.ザニロリ、A.コーワンの順で1-2フィニッシュ。パジェロにとって、そして三菱自動車にとって、さらには日本車にとって、初のダカールラリー総合優勝の栄誉を勝ち取った。完走率は25%。

    ■総合優勝 パトリック・ザニロリ / ダ・シルバ

    ■総合2位 アンドリュー・コーワン/ジョンストン・サイアー

  • 1986年 第8回 ダカール・ラリー

    1986年大会はパジェロとポルシェ959との壮絶な優勝争いが展開された。前年モデルより20PSアップし、250PSにまで高められたプロトタイプのパジェロは、そのスペック通りの能力を発揮。23ヶ所のSS中、12ヶ所でトップタイムをマーク。スピードではポルシェを圧倒していた。しかし、度重なるミスコースやマイナートラブルなどの不運もあり、惜しくも2年連続優勝を逃した。しかし、H.リガルの総合3位を筆頭に5位、7位と全3台が完走。さらに、市販車無改造クラスでは4連覇を達成。また、この年に初出場した日本のトップラリースト、篠塚建次郎は市販車無改造を駆り、初出場を完走で飾った。

    ■総合3位 ユベール・リガル

    ■総合5位 アンドリュー・コーワン

    ■総合7位 パトリック・ザニロリ

    ■完走 篠塚建次郎

  • 1987年 第9回 ダカール・ラリー

    プジョーの初参戦によって、冒険要素の強かったラリーからスピード競争の色合いが濃いラリーへと変貌を遂げた1987年大会。5回目の挑戦となる三菱自動車チームは、前年モデルをモディファイしたパジェロを投入。ドライバーにはエース、A.コーワンに加え、前回大会で初出場初完走を果たした篠塚建次郎、そして初出場となる増岡浩らが起用された。サハラ砂漠を縦横に駆け抜ける約13,000kmの道程。パジェロは困難をものともせず、プジョー勢とともに激しいトップ争いを展開したが、惜しくも優勝を逃す。しかし、篠塚が総合3位に入り、日本人として初のダカールラリー表彰台を獲得した。

    ■総合3位 篠塚建次郎

    ■総合8位 アンドリュー・コーワン

    ■総合12位(市販車改造クラス優勝) タイスターマン

  • 1988年 第10回 ダカール・ラリー

    大きくリファインしたプロトタイプのパジェロを投入した1988年大会。カーボン・ケプラーのボディパネルにより大幅に軽量化。さらに、2.6LSOHCエンジンは275PSまで出力アップ。ダウンフォース向上のために可変式ウイングも採用。優勝争いは、三菱自動車とプジョーの両ワークス。序盤は激しく競り合ったが、A.コーワンとP.ラルティーグが後半にリタイヤ。しかし、篠塚は総合2位にまで浮上したが、砂嵐によるステージキャンセルなどもあり、一歩及ばず総合2位でゴール。優勝こそ逃したが、前年に自ら記録した日本人最上位の3位を更新する2位を獲得。

    ■総合2位 篠塚建次郎

    ■総合8位 タイスターマン

    ■総合12位 ジャン・ピエール・フォントネ

  • 1989年 第11回 ダカール・ラリー

    プロトタイプ パジェロがいっそう熟成し、過去最多の6台体制で参戦。トランスミッションが4速から5速に変更され、エンジンパワーを有効に活かせるようになる。この年の約10,000kmのルートは未開の地が多く、ダカールラリー本来の姿を思い起こさせるものとなる。三菱自動車とプジョーの両ワークスによる激しい優勝争い。しかし、現地調達の粗悪ガソリンの影響によるトラブルで思うようにタイムが伸びず苦戦。結果、P.タンベイの総合3位が最上位。しかし、トップ10にパジェロが5台入る完走率の高さを記録。 “壊れないパジェロ”のイメージは、6年に及ぶダカールラリー参戦で広く浸透し、T1(市販車無改造)クラス、T2(市販車改造)クラスで常にトップの地位を走り続けていることでも実証されている。

    ■総合3位 タンベイ

    ■TOP10入賞

    タイスターマン5位

    篠塚建次郎6位

    ジャン・ピエール・フォントネ7位

    ダ・シルバ10位

  • 1990年 第12回 ダカール・ラリー

    プロトタイプクラスだけでなく市販車改造クラスにも力を注いだ1990年大会。プロトタイプパジェロには、A.コーワン、P.ラルティーグ、篠塚建次郎、J-P.フォントネが搭乗。市販車改造パジェロには、増岡浩らが搭乗。プロトタイプ パジェロはこれまでと同型エンジンながら、最高出力が280PSにまで達し、サスペンションを前後ダブルウィッシュボーンに変更。ボディカウルは空力を意識した形状のものに。死の砂漠と謳われるリビア砂漠、そしてサービス禁止のマラソンステージの設置により、完走すら危うい過酷さの中で繰り広げられた優勝争いはプジョーに軍配。A.コーワンの総合4位が最高位で、篠塚が総合5位で続いた。なお、市販車改造クラスでは、増岡が総合10位でクラス優勝。基本性能の高さを実証した。

    ■総合4位 アンドリュー・コーワン

    ■総合5位 篠塚建次郎

    ■総合10位(市販車改造クラス優勝)  増岡浩

  • 1991年 第13回 ダカール・ラリー

    1991年大会では、プジョーの技術を受け継いだシトロエンが初参戦。三菱自動車チームはニューマシンを投入。完全なレーシングマシンとしてのプロトタイプを開発。エンジンは、WRCに出場していたギャランVR-4の2L4G63型エンジンを2.2Lにボアアップして搭載。最高出力は320PS。ボディもチューブ ラーフレームで組み立てられ、剛性の確保、軽量化が図られた。3台中2台を失いながらも大会を制したシトロエン ZXに対して、総合2〜4位で確実に上位完走を果たしたパジェロ。優勝こそ逃したが信頼性では大きく凌駕したといえよう。新開発のプロトタイプパジェロには、ニューマシンにありがちな初期トラブルもほとんど見られず、技術力の高さを再び実証した。

    ■総合2位 P.ラルティーグ

    ■総合3位 ジャン・ピエール・フォントネ

    ■総合4位 K.エリクソン

  • 1992年 第14回 ダカール・ラリー

    1992年大会は、ゴール地が南アフリカのケープタウンとなり、アフリカ大陸を縦断する非常に規模の大きなラリーへと変貌。三菱自動車チームは前年に投入したプロトタイプパジェロを熟成させ、篠塚建次郎、J-P.フォントネ、E.ウェーバーに加え、二輪部門の王者H.オリオールとWRC優勝経験者のB.サビーを擁した最強の布陣で臨んだ。序盤にしてライバルのシトロエンZX勢を寄せつけない走りを展開。前半から攻めていく作戦は功を奏し、1-2-3位独占という圧倒的な強さでゴール。総合優勝はH.オリオール、2位にE. ウェーバー、3位には篠塚が入り表彰台を独占。H.オリオールはダカールラリー初の二輪/四輪両部門の覇者となった。1985年以来2度目の総合優勝を達成。パジェロが砂漠の王者の称号を得るにふさわしい優れたマシンであることが改めて実証された。

    ■総合優勝 ユベール・オリオール

    ■総合2位 アーウィン・ウェーバー

    ■総合3位 篠塚建次郎

  • 1993年 第15回 ダカール・ラリー

    1993年大会は、ゴール地が再びダカールに。サハラ砂漠の北西部を辿る約9,000kmのルートが設定。その中にはパリダカ史上最長の800kmを越えるSSやマラソンステージの増設が待ち構えていた。三菱自動車チームは2連覇を目指し、パジェロを大幅に改良。ホイールベースとトレッドを拡大し、走行安定性とコーナリング性能の向上を実現。さらに6速トランスミッションはハイ/ローの切換えで、実質12速での駆動を可能にし、砂漠での走破性を格段にアップさせた。10ヵ所のSS中6ヵ所でトップタイムをマーク。さらに4台すべてが完走し、完全にシトロエン勢を圧倒。B.サビーが駆るパジェロは、2位のシトロエンに1時間以上の大差をつけてゴール。2年連続3回目のダカールラリー制覇を達成し、同一マシンとしては最多勝を記録。また、三菱自動車はプジョーと並ぶ最多優勝メーカーに輝いた。

    ■総合優勝 ブルーノ・サビー

    ■総合4位 アーウィン・ウェーバー

    ■総合5位 篠塚建次郎

  • 1994年 第16回 ダカール・ラリー

    1994年大会は、パリをスタートし、従来のゴール地であるダカールを経由して再びパリにゴールする、総走行距離13,000km超。序盤は三菱自動車とシトロエンの両ワークスがデッドヒートを展開。大会14日目のマラソンステージであまりの過酷なステージに脱落する選手が続出したため、主催者は同ステージのキャンセルを決定。だが、それを知らないB.サビーとJ-P.フォントネは約30時間をかけて、この地獄の砂漠を走破。死力を尽くしてゴールに辿りついた二人を待ち受けたのは無情のタイム無効という通告。三菱自動車チームは抗議したが受け容れられなかったため、同ラリーからの撤退を決定。死の砂丘を走破した二人のドライバーには称賛の声が贈られた。一方、市販車改造パジェロは引き続きラリーを続行。増岡が総合4位でクラス優勝を果たしている。

    ■総合4位(市販車改造クラス優勝) 増岡浩

  • 1995年 第17回 ダカール・ラリー

    1995年大会は、スタート地をスペインのグラナダへと移動した初めての大会。パジェロはトレッドとホイールベースをさらに拡大。ついに全幅が2mを超え、全長が4.3mに達した。また、2.2L4G6型エンジンは2.4Lにボアアップされ、5,500回転で350PSを発生し、60kg-mのトルクを達成した。最高速度は 220km/h以上を記録し、まさに砂漠を走るモンスターマシンとなった。全14ヵ所のSSで6ヵ所、トップタイムをマークしたが、結果的にはシトロエンZXが優勝。これに対してパジェロは総合2〜4位に入り、3台すべてが完走。さらに市販車改造パジェロで総合9〜10位(クラス1〜2位)に入ったことで、トップ10に5 台が入る高い安定性を示し、技術力の高さを実証した。

    ■総合2位 ブルーノ・サビー

    ■総合3位 篠塚建次郎

    ■総合4位 ジャン・ピエール・フォントネ

  • 1996年 第18回 ダカール・ラリー

    1985年大会で初めてプロトタイプを投入し、1987年からプジョー、1991年からシトロエンを相手に死闘を繰り広げてきた、13年間に及ぶプロトタイプパジェロが1996年大会を最後に終幕を迎えた。この年のパジェロはホイールベースを若干短縮するとともに50kgの軽量化とエンジンレスポンスの向上を実現。万全を期した三菱自動車チームはアクシデントに泣かされる。トラブルで後退した篠塚のサポートを得たJ-P.フォントネが総合3位でゴールしたのが最上位。一方、市販車無改造クラスでは、1〜3位を独占という前例を見ない快挙を達成。市販車の基本性能の高さを実証した。

    ■総合3位 ジャン・ピエール・フォントネ

    ■総合6位 増岡浩(RVR)

    ■総合7位 ブルーノ・サビー

  • 1997年 第19回 ダカール・ラリー

    前回大会を最後にメーカーからのプロトタイプでのエントリーが禁止され、ガソリンターボエンジンも全面禁止。三菱自動車チームは市販車改造クラスのパジェロとチャレンジャーを投入。ダカールがスタート地となり、ニジェールのアガデスを経由して再びダカールにゴールするというルート設定になった1997年大会では、序盤から快走。パジェロとチャレンジャーは1-2-3-4位のポジションで、ライバル勢を寄せつけない。そのトップには、ダカールラリー挑戦12回目となる日本のエース、篠塚建次郎。三菱勢が15ヵ所のSS中、11ヵ所でトップタイムを獲得したが、篠塚はそのうち3回のSSトップを記録し、横綱相撲を展開。日本人として初のダカールラリー総合優勝の快挙を達成。パジェロとチャレンジャーが1〜4位を独占し、同一メーカーによる史上初のトップ4を独占。市販車をモディファイした車両によるこの圧倒的な強さは、基本性能の高さを如実に実証するものとなった。

    ■総合優勝 篠塚建次郎

    ■総合2位 ジャン・ピエール・フォントネ

    ■総合3位 ブルーノ・サビー

    ■総合4位 増岡浩(チャレンジャー)

  • 1998年 第20回 ダカール・ラリー

    1998年大会では、前年の優勝マシンをさらに進化させたパジェロ・エボリュ-ションT2仕様(市販車改造クラス)を投入。97年型モデルのトレッドを拡大し、旋回性能の向上を図った同マシンは、期待以上のパフォーマンスを発揮。前年にトップ4独占を達成した三菱自動車チームは、優勝した篠塚が5位以下のライバルに5時間以上の差をつけたが、この年優勝のJ-P.フォントネは5位以下のライバルに前年を大きく上回る8時間以上の大差をつけた。記念すべき20周年を迎えたダカールラリーにおいて、三菱自動車チームは2年連続1-2-3-4位独占を達成。パジェロは2年連続5度目の総合優勝を飾り、三菱自動車チームは四輪部門で史上最多優勝メーカーとなった。

    ■総合優勝 ジャン・ピエール・フォントネ

    ■総合2位 篠塚建次郎

    ■総合3位 ブルーノ・サビー

    ■総合4位 増岡浩(チャレンジャー)

    ■FIAクロスカントリー・ラリーワールドカップの年間タイトルを獲得

  • 1999年 第21回 ダカール・ラリー

    1999年大会は、前年の覇者J-P.フォントネと篠塚建次郎に空気圧調整システム装着の最新型パジェロエボリューションを託し、ドイツ三菱販社から出場の女性ドライバー、J.クラインシュミットが前年型パジェロエボリューション、スペイン三菱販社から出場のM.プリエトが97年型パジェロでそれぞれ出場。さらに増岡浩が前年同様チャレンジャーで出場。ラリーはこれまで同様に序盤からパジェロがリード。特にJ.クラインシュミットの総合トップ浮上は、女性ドライバー初の快挙として大きな話題を呼んだ。しかし、三菱勢にトラブルが相次ぎ、後退。最終的に総合2〜4位に入賞し、砂漠の王者としての面目を果たす。

    ■総合2位 プリエト

    ■総合3位 クラインシュミット

    ■総合4位 篠塚建次郎

    ■FIAクロスカントリー・ラリーワールドカップの年間タイトルを獲得

  • 2000年 第22回 ダカール・ラリー

    第22回、2000年大会は、セネガルのダカールをスタートしてエジプトのカイロにゴールするという、アフリカ大陸を横断する壮大なラリーとなった。三菱自動車チームは市販車をベースとする3代目となるパジェロ5台とストラーダ1台を送り込み、通算6度目の総合優勝を目指したが、リビアのステージに突入後にクラッシュ。エジプト入りしてからは、ツイスティなコースや砂丘、岩場など多様な路面で、パジェロは基本性能の高さを遺憾なく発揮したものの、三菱勢は、J-P.フォントネの3位が最上位という結果に終わった。

    ■総合3位 ジャン・ピエール・フォントネ

    ■総合5位 クラインシュミット

    ■総合6位 増岡浩

    ■FIAクロスカントリー・ラリーワールドカップの年間タイトルを獲得

  • 2001年 第23回 ダカール・ラリー

    2001年大会では、ダカールラリー初の女性ウィナーが誕生した。パジェロを駆るJ.クラインシュミットである。公式なチャンピオンとして祝福されるのがJ.クラインシュミットだとすれば、もう一方の“真のチャンピオン”はいうまでもなく増岡だと多くのプレスは報道した。結果は惜しくも総合2位に終わったが、増岡はその素晴らしいスピードとテクニック、勝利への情熱でダカールラリーを見るファンを釘付けにした。総合首位を7回も入れ替える、史上稀に見る激戦となった中で、増岡は第3レグおよびラリー後半の9日間にわたって首位をキープ。連日の闘いの模様は各国に報道され、「サムライ・マスオカ」の名前は世界中に知れ渡った。日本にはパジェロのマスオカがいることを新世紀ダカールラリーが証明した。

    ■総合優勝 クラインシュミット

    ■総合2位 増岡浩

    ■総合5位 スーザ

  • 2002年 第24回 ダカール・ラリー

    三菱自動車チームが出場していた市販車改造クラス(T2)は、プロトタイプクラス(T3)と併合されてスーパープロダクションクラスとなる。三菱自動車チームは従来の市販車改造仕様をベースとしたスーパープロダクション仕様のパジェロを投入。フロアパネルを加工して500リットルの燃料タンクを搭載、容量増と同時に低重心化を図った。また、エンジンや駆動系、サスペンションを改良したことでいっそう走破性を高めた。増岡は、アフリカステージ初日となるSSでトップタイムを記録すると徐々にリードを広げ、総合優勝。1997年大会の篠塚建次郎に次ぐ日本人2人目の快挙を達成。三菱自動車チームとしてはトップ5を独占、また三菱車のプライベーターが8位まで続くなど上位10台のうち9台を占める圧勝となった。

    ■総合優勝 増岡浩

    ■総合2位 クラインシュミット

    ■総合3位 篠塚建次郎

    ■上位10台中9台を三菱勢が占める

  • 2003年 第25回 ダカール・ラリー

    スーパープロダクションクラスが2年目を迎える2003年大会に、三菱自動車チームはニューマシン、パジェロエボリューションを2台投入し、増岡とS.ペテランセルに託した。パジェロエボリューションは、軽量かつ高剛性のチューブラーフレーム構造を採用。エンジンは270PSを発生する6G74型3.5L V6 MIVECエンジンを搭載。トランスミッションは6速のシーケンシャルタイプを採用した。ラリーはスタートしてすぐに増岡とS.ペテランセルによるチームメイト同士の一騎打ちの様相となる。一進一退の攻防の末に増岡が逆転して首位に立ち、日本人としては初の2連覇を達成。三菱自動車チームとしては3連覇で通算8勝目をマーク。またトップ4を独占した。

    ■総合優勝 増岡浩

    ■総合2位 ジャン・ピエール・フォントネ

    ■総合3位 ステファン・ペテランセル

    ■FIAクロスカントリー・ワールドカップの年間タイトルを獲得(カルロス・スーザ)

  • 2004年 第26回 ダカール・ラリー

    4連覇を目指して臨んだ2004年大会に、三菱自動車チームは大幅に改良を施したパジェロエボリューションを投入。エンジンは3.5Lから4.0Lに。最高出力は270PSで不変ながら、最大トルクを36kg-mから43kg-mまで増強させた。また、前後スタビライザーを油圧で連結するシステムを採用してコーナリング時の安定性を向上。ラリーでは三菱自動車チームが安定した強さを発揮。S.ペテランセルと増岡の首位争いは、増岡がミッショントラブルにより1時間以上の遅れをとったことで事実上決着。S.ペテランセルはリスクを犯さず安定したペースで走行して、四輪部門で初の総合優勝を果たした。これでH.オリオールに次ぐ2人目の二輪/四輪両部門の覇者となった。これに増岡が総合2位で続き、三菱自動車チームは4年連続となる通算9勝目を1-2フィニッシュで飾った。

    ■総合優勝 ステファン・ペテランセル

    ■総合2位 増岡浩

    ■総合5位 アンドレア・マイヤー

  • 2005年 第27回 ダカール・ラリー

    三菱自動車チームは、2005年大会にパジェロエボリューション4台とL200(ピックアップ)1台で出場。2002年、2003年の覇者である増岡、2004年大会を制したS.ペテランセルに、元アルペンスキーチャンピオンでもあるL.アルファン、 2004年大会の二輪部門の覇者であるJ-N.ロマが加入。パジェロエボリューションはエンジンや駆動系を中心に低重心化が図られ、エ ンジンは低速トルクを増強。まるで乗用車なみのハンドリングフィーリングを実現。2年ぶりの総合優勝を狙う増岡は大会4日目にアクシデントにより大きく後退。後半戦初日にエンジントラブルで戦列を去る。S.ペテランセルは今大会最大の難所である約660kmのロングステージで首位に浮上すると、2位に浮上したL.アルファンとともにライバル勢を徐々に引き離し、1-2フィニッシュを達成。S.ペテランセルは四輪部門で2勝目を挙げるとともに、三菱自動車チームとしては5連覇で通算10勝を記録した。

    ■総合優勝 ステファン・ペテランセル

    ■総合2位 リュック・アルファン

    ■総合6位 ホアン・ナニ・ロマ

  • 2006年 第28回 ダカール・ラリー

    さらなる改良を施したパジェロエボリューションを4台送り込んだ2006年大会。前回大会でトラブルが発生したエンジンを細部にわたって改良。耐久性を高める一方で低〜中回転域でのトルク特性を改善。またデフの減速機構を2段として負荷低減を図るなど駆動系の耐久性も向上。さらにサスペンションまわりにも改良を加えた。三菱自動車チームは前年同様の磐石の4名体制。モーリタニアの砂丘ステージでは、パジェロエボリューションは本領を発揮。L.アルファンとS.ペテランセルが1-2位に浮上すると、順位を入れ替えて前半戦を終了。首位のS.ペテランセルはコースオフにより後退。代わって首位に立ったL.アルファンが初優勝。四輪部門参戦2年目のJ-N.ロマは3位入賞、S.ペテランセルは無念の4位。三菱自動車チームは上位を独占し、6連覇を達成。通算では11勝となった。

    ■総合優勝 リュック・アルファン

    ■総合3位 ホアン・ナニ・ロマ

    ■総合4位 ステファン・ペテランセル

  • 2007年 第29回 ダカール・ラリー

    2007年大会。三菱自動車チームは、サブフレームを廃止した一体構造のチューブラーフレームを採用して、燃料タンクやスペアタイヤなどの重量物をより低位置に、より中央に配置することで、ハンドリング性能に磨きをかけた、新型のパジェロエボリューションを投入。得意とするモーリタニアまでは粘り強い走りを見せていたが、2年連続のリタイヤからの復活を期す増岡は滑り出しは順調であったものの相次ぐパンクやクラッチトラブルで思うようなレース運びができない状況。S.ペテランセル、L.アルファン、増岡は前半戦を3-4-5位で折り返し、後半戦最初の今大会最長589kmのマラソンステージで攻勢に転じる。S.ペテランセル、L.アルファンの駆るパジェロエボリューションが首位を奪取。その翌日、S.ペテランセル、L.アルファンはリードを広げて1-2フィニッシュ。増岡も5位に入るなど、三菱自動車チームは7年連続の通算12勝目を挙げた。

    ■総合優勝 ステファン・ペテランセル

    ■総合2位 リュック・アルファン

    ■総合5位 増岡浩

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