ガソリンスタンドの店舗数減少が止まらない。特に、都市部で著しい。久保宏さん(56歳)も、父親の代から家族で経営していたガ ソリンスタンドを4年前に閉めた。「閉める何年も前から、同業者が集まると、“どんどん厳しくなっていくよね〜”ってコボし合っていましたからねぇ」
すでに久保さんは新しい仕事に就かれているので、淡々と語っている。閉めざるを得なかったのは、時代的な背景、業界の構造的な限界などが複合的に重なり合った結果だ。
ガソリンスタンドは、久保さんのカーライフを支えて来ていた。1973年代型の三菱ギャランGTO GSRに37年19万kmも乗ってきたのも、家業でクルマに親しんできたからだ。車検以外の定期点検整備やレストアなど、ギャランGTOの手入れをほとんどすべて自分で行ってきた。
「昔は、パンク修理からエンジンオイル交換まで、ガソリンスタンドが行う仕事は多く、忙しかったんですよ」
クルマが故障しなくなったり、パンクなども道路整備が行き届いたことから激減した。必然的に、ガソリンスタンドの仕事も減っていった。
スタンドの従業員は整備士の資格を持つことが常識だったから、久保さんも取得した。しかし、仕事だから取ったのではなく、もともと久保さんはクルマが好きだった。高校生の時に2輪のモトクロスレースに出場し、大学生になってからはラリーに出場するほど、モータースポーツに熱中した。ラリーは社会人になってからも続け、77年と78年にはWRC(世界ラリー選手権)のRACラリー(イギリス)に出場したほどの腕前だ。
クルマは、久保さんの人生で大きなウエイトを占めている。ギャランGTOと出会ったのは高校生の時。「田町の高校に通っていて、三菱自動車本社のショールームの前を通っていたんです。発表されたばかりのGTOがカッコ良くてねぇ」
1600ccのGTOのオレンジ色のボディカラーとダックテールに、高校生の久保さんは参ってしまった。「眼の前にズラッとメーターが並んでいるのにも、憧れました」
僕も、ギャランGTOが華々しくデビューした時のことはよく憶えている。今はもうない、明治通り沿いの大きなショールームに飾られていた。
ギャランGTOのダックテールは衝撃的だった。2ドアクーペでも、テール部分はなだらかに傾斜してライト部分とつながるのが当たり前と思っていたところに、それが反り返ってしまったのだから、「エエエッー!?」である。若い人には理解されないかもしれないけど、あの時、カタチだけじゃなくて僕らの気持ちまでも反り返されてしまったのだ。18歳になって運転免許を取得し、新車でGTOを購入。「先輩たちが、コルトやギャランでラリーをやっていて、三菱のクルマに親近感を感じていた、という動機付けもありました」
久保さんのギャランGTOは、そのダックテールを道路側に向けて、ご自宅一階のガレージに収まっていた。
街では、もうほとんどその姿を見ることはなくなっていたから、とても懐かしい。メタリックが入っていないモスグリーンに白いストライプ。あった、あった、こういう外装色。
ひと目惚れしたオレンジ色の外装色は設定から落とされていて、代わりにこっちを選んだ。最上級グレードのGSRだから、オーバーフェンダーが付いている。「“アテネオリーブ”っていうんですよ。12年前に、一度、オールペイントしました」
購入後、最初の10万キロは5年ぐらいで走ってしまった。若かったから、よく走った。北海道と沖縄以外は、ほぼ全国をこのクルマで出掛けた。それ以降のペースが落ちているのは、ラリーが忙しくなったからだ。ラリーには、専用に仕立てたラリーカーで出場したから、ギャランGTOの距離が伸びなくなってしまった。
今から思えば、ギャランGTOのスタイルはアメリカ風だ。ダックテールとピラーレスハードトップ、派手なフロントフェイスとテールライトなどは、1960年代後半から70年代に掛けてのビッグ3のクーペとテイストが変わらない。
それでいて、ラリーというヨーロッパスタイルのモータースポーツに熱中していた。お好みは、どちらなのでしょう?「アメリカンなものも好きなんですよ。F1を観るよりも、豪快なインディカーやストックカーの方が面白い」
助手席に乗せてもらい、近くを走った。昔のクルマは小さいし、ボディパネルが直立に近いので、久保さんとの距離が近い。大径の速度計にエンジン回転計、水温計、油圧計、燃料残量計が、ズラリと揃ってドライバーの方を向いている。この迫力ならば、若者のココロを捉えるわけである。
鮮やかな青と赤の革が巻かれたナルディ製ハンドルは、後から巻き直されたもの。カーステレオでは、さすがにカセットテープはもう聴いていないが、アンプにCDチェンジャーをつなげて使っている。「メーターパネルが外しにくいんですよ」
グラブボックスを外し、内側からの蝶ネジを緩めてから表側のネジ7本を回さないと、取れない。「ズラッて並んでいる“売り物”が、かえってアダになっちゃっている。ハハハッ」
メーターのライトのバルブが2回切れ、2回とも久保さん自らが交換した。「ま、普通の人はやりませんけどね」
久保さんは、ほとんどの整備と修理を自ら行ってしまうので、一般的なユーザーのように三菱のディーラーに行くことはない。でも、一度だけ頼ったことがある。ステアリングホイールの革を巻き直そうとした時に、特殊工具を借りた。プーリーを抜くための専用の工具が必要になり、問い合わせてみたら、快く貸してくれると言うので、田町まで借りに行った。「とても、イジリやすいクルマですよ。整備することをよく考えられて造ってあるから助かります」
久保さんが37年間も乗り続けたのは、整備しやすいというこの頃の三菱のクルマの特長によることも大きかった。コルトやギャランに乗ってラリーで活躍する先輩に憧れ、ギャランGTOにひと目惚れして購入したが、自分のクルマとして乗り続けて行くうちに、整備しやすいという長所を身を以て体験していった。その関係は、今でも続いているのである。
一昨年行ったエンジン交換以外の整備や修理は、自宅ガレージか奥さんの実家で行っている。排気の煙がヒドくなったので、部品取り用に持っていた、もう一台のギャランGTOのエンジンに載せ換えた。「乗り続けるためには改造せざるを得なくなっていて、部品の確保が最 大の課題です」
インターネットで知り合った仲間と“オフ会”で会っても、その話ばかりで終始する。最も危機感に苛まされているのが、フェンダーミラーだ。在庫はとうの昔に底を尽き、サプライヤーに掛け合っても、数がまとまらないので造ってもらえなかった。「鏡自体は他メーカーのものを流用できることがわかったのですが、ケース本体は流用が効きませんからね」
他にも入手し難くなる部品が出てくることが想定されるので、久保さんは部品取り用の一台の他に、「実家の部屋一杯」分の部品を確保してある。ギャランGTOネットワークとルーツオブギャランというサイトで知り合った仲間たちの大半は、40歳代半ばの、ギャランGTOをリアルタイムで知らない世代だ。「でも、彼らがとても積極的に活動してくれているので、頼もしいです」
ダックテールとオレンジボディと5連メーターに憧れて手に入れたが、あちこち手を入れ、修理し、改造して、37年も経ってしまった。アテネオリーブのギャランGTOは、もはや久保さんの身体の一部のようになっている。
近所を回ってガレージに仕舞おうとしていると、通り掛かりの中年男性が立ち止まって、こちらに寄ってきた。「僕もこれに乗っていたんですよ。友達はみんなセリカやスカイラインだったけど」「私も、友人たちの中では少数派でしたよ。一緒ですね。ハハハハハハッ」
朗らかに笑うふたりは、ガソリンスタンドの従業員と常連客のように 意気投合していた。