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7種類ものボディバリエーションで実現しようとしたもの 澁谷さんとデリカ(1971年型)31年間15万キロ

農協がクルマを売っていた

昔から、車中泊

 車中泊というものが流行っている。
 なかでも、ミニバンを改造して、車内で泊まれるようにしたものが多い。軽自動車からフルサイズまで、日本には多くのミニバンが揃っているから、車中泊の用途に合わせて選んで改造できるところが人気の理由のひとつなのだろう。
 まだ、車中泊という言葉さえ存在していなかった1970年代に、京都府在住の澁谷曉さん(60歳)は、学生時代から軽自動車のワンボックスバンを改造して、友人たちと車中泊しながら旅を繰り返していた。
「キャンピングカーに乗りたかったんですよ」
 なるほど、ミニバンを改造した車中泊は、日本流のキャンピングカーだ。“キャンピングカー”と聞くと、アメリカの巨大なものを想像してしまうが、軽自動車ベースの改造車だって、行っていることはまさにキャンピングカーそのものである。
 澁谷さんは、1979年に購入した71年型の三菱デリカに31年15万キロ乗っている。このデリカは、澁谷さんにとって3台目のデリカ。それだけではない。現在、もう一台乗っている三菱デリカスターワゴンも3台目という、デリカシリーズの大ファンなのである。
「最初のデリカの前に乗っていたのは2台の軽だったから、普通車では、私はデリカにしか乗ったことがないんですよ」

 待ち合わせ場所に迎えに来てくれたデリカは、小さなボディに丸いヘッドライトが可愛らしい。感覚的には、現代の軽自動車のワンボックスをふた回りくらい大きくしたようだ。
 助手席には、次男の央君(12歳)。
「あと6年で、デリカに乗れるんです」
 央君のデリカ好きは、お父さん譲りだ。昨年のゴールデンウィークには、丹後半島をふたりで3泊、車中泊して旅した。夏休みには、長野を巡った。
 デリカの助手席に座らせてもらい、スターワゴンを停めてあるところまで行った。デリカは相当に年季が入っているが、いたるところに修復の手が入っている。

 まず驚かされるのは、フロントドアの内張りだ。未塗装のベニア板が張り付けられている。一瞬、驚かされるが、よく見るとエッジと四隅などが丁寧に加工されている。同様の加工はリアシート下部にも施されていた。オートバイを積み込むためだそうだ。
 ボディも、淡いコンビネーションから、緑に黒を混ぜた力強いものに塗り替えた。
「初代ランサーにあった色なんですよ」
 デリカは京都の街を軽快に走って行く。このクルマで、トコトコと一般道を走って車中泊を繰り返しながら旅したら、楽しいだろう。そんな気になってくる。

パワーウインドウ嫌い

 デリカスターワゴンは、可愛いデリカとは対照的にカクカクとイカツい。潔いくらいに直線で構成されたボディのカタチが、今となっては懐かしい。エアコンの必要度や走行距離の長短に応じて、澁谷さんは2台を乗り分けている。
「ドア、窓3枚、フロントグリルを2台目のスターワゴンから入れ替えたんですよ」
 テールゲイトの“turbo”のデカールも、わざわざ新しいものを買ってきて、張り直してある。

「パワーウインドウが嫌いなんです」
 2台目の手巻き式ウインドガラス一式を外して、3台目に移植したのだ。
「窓ガラスの上げ下げは自分の手でやりたいし、パワーウインドウは子供が首や手を挟む心配があるからね」
 同じ理由から、後席の窓はスライド式のものに交換してある。外国製のキャンピングルーフ“RIMO”も、2台目と同じように3台目のルーフを切って取り付けた。
 なんでも自分好みにしたくって、そのための手間と費用を惜しまないのが澁谷さんのスタイルだ。

 デリカスターワゴンは、6年前にインターネットオークションで購入し、石川県金沢市まで取りに行った。ネットオークションは、今や澁谷さんにとってなくてはならないものとなっている。デリカやスターワゴンのパーツやカタログ、他にレストアを続けている軽自動車やオートバイのパーツなどのほとんどは競り落として購入したものだ。
「ネットオークションが存在していなかったら、この2台は維持できていなかったでしょう」

 車庫には、デリカとスターワゴンをはじめとするクルマやオートバイのパーツが入った段ボール箱が壁一面に積み上げられている。こことは別の場所に、レストアを待つ軽自動車を10数台、たくさんのパーツと一緒に保管してもいる。

 段ボール箱は家の中にもあって、端から開けてみせてくれた。フロントグリルの先からリアバンパーの端まで、何でもある。何本かあるハンドルの一本のリムが割れているのを央君が見付けた。
「なぜ、割れているのに買うたん?」
「オークションに出てたら、デリカのパーツは買わなアカンのや」
「手ぇ洗うてこ」

開発陣の試行錯誤ぶり

 大判のファイルブックが圧巻で、デリカや当時のライバル車のカタログが大量に収録されている。これらも、すべてオークションから購入した。
 驚かされたのは、分厚いパーツリスト。
 パーツリスト自体は他のものと同じようにネットオークションで手に入れたのだが、オリジナルページの痛みを恐れて、複製を作成した。ただコピー機で複写するだけでなく、1ページ複写したら、いったんそのコピー紙を裏返しし、そこに次ページを複写している。

 さらに、シャシー編とエンジン編と索引を合わせて一冊にしてあるから、恐ろしく手間が掛かっている。愛着がなければ、こんな気の遠くなるような作業はできない。
「さっきも、ウチのクルマで見てもらいましたけど、この頃の三菱は実にいろいろなことを試行錯誤しながら、デリカをいいクルマにしようとしているんですね」
 澁谷さんの解説付きで、こうやって時系列にカタログを見ていくと、当時の三菱自動車開発陣の苦心ぶりがよく伝わってくる。
 澁谷さんが指摘しているのは、デリカのスライドドアのことだ。デリカの中期型と後期型のスライドドアのハンドル動く分の扇形の凹みが設けられている。初期型では存在していない。
 現代のミニバンやワンボックスカーでは見られないカタチだが、この方が使いやすいはずだと澁谷さんは主張する。僕も同感だ。
「4ナンバーの商用バンなのに、三菱がユーザーの使いやすさを真剣に考えて力を入れて作っていた証が、このカタチに表れているのだと思いますね」

 初代デリカは、トラック、ライトバン、ルートバン、5ドアバン、コーチ、さらには高床式トラックなど、さまざまなボディバリエーションを有していた。ファミリーカーの変種でしかない現代のミニバンとは違って、デリカという基本が存在して、そこから用途ごとにバリエーションが作り上げられていた。
「コーチに乗りたかったんだけど、コーチはタマ(流通量)が少なかったから、バンを改造したんです」
 2台目に乗っていた4ナンバーのバンに折り畳める3列目シートを追加して、5ナンバーのコーチ仕様に改造した。作業と構造変更申請は京都三菱に紹介してもらった業者で行った。工賃は、約10万円。

「本当はコレに乗りたかったんだけど、見たことさえなかった」
 そう言って指差すカタログに印刷されているのは、デリカ75キャンピングバン。日本初の自動車メーカー製キャンピングカーで、たった1台だけ見たことがある中古車も、80万円と非常に高価だった。

 澁谷さんは、デリカについて非常に詳しい。デリカが新車で販売されていた時から乗ってきているし、自分好みに改造するからメカニズムや構造などにも良く通じている。だから、説得力がある。
 デリカのどこに惹かれているのだろうか。
「好きになってしまうたからね。アカンところもないし、大きく裏切られたこともないから」
 デリカもスターワゴンも、大きなトラブルは一度も経験していないという。ウォータポンプからの水漏れとか、オイル上がりが少しあったくらいだ。澁谷さんのように親身に付き合っていれば、トラブルが発生しようとしても、きっと、その前兆を漏らさずキャッチしていたのだろう。その愛着が、トラブルを未然に防いでいたに違いない。

 パーツが入った段ボール箱は、まだどんどん開けられていく。20本入のスパークプラグや10個パックのディストリビューターローターが何箱も出てきた。
 クラッチワイヤ、ウォーターポンプアッセンブリィ、オイルシール、ドアノブ、ドアとボディの間のゴムシール等々。何でも出てくる。コルトと印刷された箱に入っているものもある。バンの運転席と荷室を隔てるバーの、ボディ側の受けパーツという珍しいものもあった。
「なんかあったら、使えるかと思うて」
 大きな箱を開けてみると、新品のエアクリーナーが出てきた。すでにパーツ管理コンピュータには登録されていなくなっていたが、“でも、どこかにあったはず”と京都三菱自動車の親切なディーラーマンが棚を一段ずつ探して見付け出してくれたものだ。
「これだけ買うとうたら、一生イケる。カネコさん、僕の“デリカを死ぬまで乗り続けよう”という気持ちをわかってもらえたでしょう? ハハハハハハッ」

 何でも自分で手当てしている澁谷さんは、ボディバリエーションや装備によって、ユーザーのさまざまな用途に応えようとしていたデリカにとって、とてもふさわしい。澁谷さんのデリカは、澁谷さんの経験と知識と愛着で維持されてきて、これからも走り続けるだろう。もちろん、車中泊もお楽しみだ。

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