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息子たちの三菱車への愛着は、ただいま増殖中 金倉弘樹さん、正樹さんとシャリオ(1986年型)24年間22万9700キロ

モーターショーに展示されなかった

 三菱自動車は、神奈川県川崎市に「津田山オートスクエア」という施設を持っている。
 山というか丘ひとつ丸ごと使った敷地の中では、関東地区のディーラーが販売する新車の納車前点検や特装車の整備が行われたり、大きな研修施設まで揃っている。
「たしかに、ここに間違いないです」
 24年ぶりに訪れた、都内在住のエディトリアルデザイナー金倉那伽雄さんは、当時の記憶を確かめた。那伽雄さんは、当時購入しようとしていた三菱シャリオの赤いボディカラーの発色具合を確かめたくて、わざわざここまで実車を見に来たのだ。
 自宅近くの三菱自動車ディーラーには赤のシャリオがなく、セールスマンに連れて来られたのが24年前のことだった。
 那伽雄さんはここで赤の色を確認し、すぐに契約した。そのシャリオ・ターボに24年22万9700キロ乗り続けている。今では、息子の正樹さんが引き継いでいる。セールスマンが隣の区の三菱ディーラーに移籍してからは、車検や整備はそこに出している。
「あの時、ふつうのセダンは眼中になかったんでしょ、お父さんは?」
 母親も一緒に一家5名でクルマに乗り、息子たちは育ち盛りを迎えていた時だから、3列シートを備えたシャリオは理想的に映った。

「ちょうど開催されていた東京モーターショーに観に行ったんですよ。でも、いくら探しても、三菱のブースにシャリオがないんです。係員に訊ねると、“売れていないので、置いていません”って言われてねぇ。ガッカリしました。ハハハハハハッ」
 しかし、偶然にも、幸運なことにその係員は金倉家のそばのディーラーに勤務するセールスマンだった。誠実なセールスマンは那伽雄さんの連絡先を訊ね、後日、カタログを持参して金倉家を訪問した。そして、赤のターボグレードを所望した那伽雄さんを津田山オートスクエアに連れてきたという次第だ。

「買ったその月に、シャリオの上に積もった雪を僕らが竹ボウキで払ったから傷だらけになって、ボンネットを再塗装したんですよ」
 正樹さんと、双子の弟の弘樹さんが11歳の時のことだった。金倉家のシャリオが購入直後から災難続きだったのは、それだけではなかった。
「買って一週間後くらいに、みんなで横浜中華街までドライブがてら食事に行ったんです。そうしたら、前に進まないんです。バックしかできなくなっちゃって……」
 奥さんの滋子さんもシャリオを運転するので、その時のことはよく憶えているのだ。
「ちょっと、その話は僕に喋らせてっ」
 滋子さんを遮り、弘樹さんが割って入ってきた。よっぽど、子供心に印象が強かったのだろう。弘樹さんによれば、その時のシャリオは、エンジンはきちんと回転するのだが、ギアが入らなくなってしまったのだという。ディーラーでトランスミッションを分解して調べてみたところ、トルクコンバーターに異物が混入していたことが原因だった。

14台のシャリオ

 他にも、これまでシャリオが前後左右すべての方向から他のクルマから衝突されていることなど、弘樹さんはまるで持ち主のようによく憶えていて、語ってくれた。
「私は、当時、母をこのクルマで(千葉県)柏市の病院に送り迎えしていました。運転しやすくて助かりました。立体駐車場にだって、入りますからね。でも、このクルマをこの子たちが大切にしてくれるようになるとは思いませんでしたね」
 母親の滋子さんには意外なのかもしれないが、ふたりの息子たちがシャリオに託している想いはスゴいとしか言いようがない。なぜならば、弘樹さんは、現在、初代シャリオを7台、2代目シャリオを6台も持っているのである。家には、弘樹さんの通勤用のi-MiEVも置いてあるので、シャリオは群馬県に土地を借りて保管している。
「名目上、“パーツ取りのため”と言っていることもありますが、結果的に集まってしまったようなものです。他に集めている人がいないからなのか、半ば自然に集まってきちゃうんですよ」
 インターネットオークションなどで見付けることもあるが、パソコンを使わない年配の方から人づてに連絡をもらい、「もう乗らないので、もらってくれないか」と頼まれてしまうこともあるそうだ。対価を支払ったものの中で最も高かったものでも、5万円。安かったのは、1000円だった。

 群馬のシャリオ13台は、ボディカバーだけでなく、経年変化を極力防ぐために車内には暗幕用の布を被せて停めてある。
「行くと、全車のカバーと暗幕を外して、エンジンを掛けて、動かします。その時に、各部分もチェックするので、すぐに一日が終わっちゃいますよ」
 もちろん、転売や譲渡などが目的なのではなく、父親から譲り受けた赤いシャリオのパーツ取りぐらいのつもりだったのが、自然と集まってきてしまった。
「まだ、セダン全盛だった時代にシャリオを買ったという人には、シャリオに乗ることに明確な目的意識があったはずだと思います」
 ミニバンという言葉すらまだなく、“人間が乗るのは乗用車、荷物はバン”という意識が一般的だった1980年代に、新しいファミリーカーとして提案されたシャリオを選んだ人へのリスペクトを込めて正樹さんは集めているように、僕には見えた。
「欲しくても買えなかった人もいたと思うんですよね」
 シャリオが好きであるとともに、シャリオの先見性を見抜いて乗っていた人たちに、正樹さんは強い共感を抱いている。

ミニカ・ダンガンも

 10年前に、弘樹さんは赤い初代シャリオのマニュアルトランスミッション付きを買った。金倉家には、赤いシャリオが2台並んだ。タイミングベルトが切れたことから、エンジンヘッドをDOHC化することを思い付いた弘樹さんは、三菱車の改造で定評のあるショップに持ち込んだ。
 ギャランのサスペンションを移植し、2ポッドのブレーキキャリパーに交換してしてある。いろいろと手を加えているので、もう5年間も動いていない。
「この人、変わっているから」
 滋子さんは呆れて苦笑するしかないのだが、それを聞いた正樹さんが口を挟む。
「“変わっている”なんて段階は、もう通り過ぎているんだよ」
 文字にするとギスギスしているように読めてしまうが、実際は大阪の漫才のように、ケナしているようでも仲良く、明るく、朗らか。親子4人、赤いシャリオを軸にして実に楽しそうなのだ。
「なぜ、ふたりがファミリーカーのこのクルマに興味を持ったのか、私にもわからないんですよ」
 那伽雄さんも、ふたりのコレクションに首を傾げている。

 弘樹さんは13台のシャリオを集めたが、兄の正樹さんも負けてはいない。ネットオークションで格安で購入したミニカ・ダンガンを、新車価格以上の費用でレストアして乗っている。
 13プラス1台のシャリオ、i-MiEV、ミニカ・ダンガン。

 金倉さん一家は、たくさんの、それも珍しい三菱のクルマとともにある。25年前のシャリオと最新の電気自動車i-MiEVとの対比が激しいが、僕には同じものとして金倉さんファミリーに受け入れられていると感じた。どちらも、カテゴリーこそ違っても時代の先達として、マーケットを切り開いた(開きつつある)クルマだからだ。
「電気自動車は航続距離で、シャリオは昔のクルマだからということで、止まってしまったり、壊れてしまう心配はあります。でも、充電すれば済むこと、直せば済むことですよ。電気自動車も古いクルマも一緒です」

 ふたりの間では、どんな三菱車も変わらないようだ。ふたりは口にしなかったが、シャリオをたくさん集めてまで維持して乗り続けているのは、親孝行の過剰表現なのではないか。一昨年、ふたりは感謝のしるしとして、シャリオでの屋久島旅行に両親を招待した。費用も、運転もすべてふたりが担当した。
 その旅には、ふたりが子供の頃に4回出掛けた、両親の故郷である鹿児島へのシャリオでの帰省旅行を再現しつつ、屋久島へ上陸するという特別オプショナルが組み込まれていた。
 滋子さんは息子たちに感謝し、頼もしく思いながらも、一抹の不安を隠し切れなさそうだった。
「これじゃあ、お嫁さんはいつ来るんでしょうねぇ。フフフフフフッ」
 津田山オートスクエアからの帰り道、滋子さんはシャリオの3列目シートから母親としての正直な心配を口にしつつも、2列目と運転席に座っているふたりに優しい眼差しを向けていた。

※2022年2月7日に本文の一部を修正し再度公開いたしました。

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