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ふたりでひとりが、ちょうどいい 鈴木紀昭さん、照子さんと三菱ランサーGSR(1975年型)16年10万6000キロ ランサーワゴン(バン改)(1975年型)17年距離不明

※お客様より「ナンバープレートも年月を感じる大切なシンボルなので掲載して欲しい」とのお申し出をいただき、ナンバーを掲載させて頂いております。

仲間と作ったTシャツ

 JRの改札を出て、事前に教わった通りに鈴木紀昭さんのお宅に急ごうとしたら、胸に大きく"Lancer"とプリントされたTシャツを着て、自転車を押して来る初老の男性と擦れ違った。
 あれっ、ランサー!?
「鈴木さんですか? 初めまして、金子浩久です」
 やっぱり、鈴木紀昭さんだった。わざわざ駅まで出迎えに来て下さったのだった。
「裏通りから行きましょう。こっちから行った方がちょうど車庫の前を通るから」
 屋根付きガレージには、白い三菱ランサーが2台とブルーの三菱ミニカが並んでいた。

「ミニカは女房に乗せています。軽自動車の規格が360ccから550ccに変わる時に過渡期的に作られたもので、排気量が471ccあって珍しいんですよ」
 ミニカの内装とシートが焦げ茶色で、明るいブルーのボディカラーと良く合っている。

 3台とも程度が良く、きれいに輝いている。2台のランサーの1台は、5ナンバーのワゴンだ。僕が小学生の頃、同級生の製本屋のサトウ君の家で使っていたのを思い出した。
 実は、この鈴木さんの初代ランサーはワゴンではなかった。4ナンバーのバンを17年前に購入し、ワゴンへと改造を施し、陸運事務所に申請を行って、晴れて5ナンバーを取得したものだ。当時の改造条件は、リアシートの背もたれを固定式に改め、荷室開口部の高さを85センチ以下に狭めることだった。

「開口部を狭めて、わざわざ荷物を出し入れしにくくなるようにしなきゃならないなんて、ヘンな規則でしたが、建築用の発泡スチロールを床に固定し、その上にシートを被せて段差を作って対処しました」
 ワゴン化の際には、エンジンを1600GSRのパワフルなものに積み替えてもいる。

 もう一台の白いランサーの2ドアセダンは、1600GSRだ。つまり、ボディは違えども、2台は同じエンジンを積んでいる。それは、鈴木さんの1600GSRというモデルへの強い思い入れの現れなのだということは、ご自宅にお邪魔してすぐにわかった。
 築81年を数えるお宅は、鈴木さんの父親がここで割烹旅館を営んでいた時のもので、門や看板などは当時のままだ。妻の照子さんが出迎えてくれた。

「このTシャツは、ランサーがサファリラリーで入賞した時のもののレプリカなんです。こっちはまだ着ていないものですけど、"当時モノ"ではありません」
 改札口で気付いたTシャツは、古い三菱のクルマを愛でる仲間たちと当時のデザインを模して作ったものだった。

「元になったのは、こっちですよ」
 別の部屋から持ってきて下さったのは、1メートル×70センチぐらいの大きな写真パネル。昔の雑誌のグラビアページを切り取ったものを張り込んである。中央に、1976年のイーストアフリカン・サファリラリーの表彰式で、篠塚建次郎とB・グレイアムが三菱ランサーで総合6位に入った大きな写真が貼られている。余白には、他の写真や結果表などを貼った自作のパネルで、当時からずっと部屋に飾ってある。
「ランサーに乗りたくなったのは、1974年のサファリラリーでランサーが総合優勝したのがキッカケです。(ジョギンダ・)シンや(アンドリュー・)コーワンなんかがランサーで活躍していましたからね」

ランサーばっかり7台目

 ご夫妻のモータリングライフは、オートバイから始まった。鈴鹿サーキットで開催された1963年と64年の第1回、2回の日本グランプリに二人乗りして出掛けるほどだったが、紀昭さんが転倒して足を骨折して4輪に転向。
 15万円で譲ってもらった日野ルノー4CVから始まって3台国産のセダンを乗り継いだが、しばらくクルマを止めていた期間もあった。海のそばに住んでいるので、ヨットレースに夢中になり、その前から撮っていた写真にも一層と熱が入り、クルマどころではなかったのだ。
 しかし、やがて子供もふたり授かり、クルマが必要となった。
「ちょうど、ランサーの国際ラリーでの活躍を自動車雑誌で知って、欲しくなったんです」

 一年落ちのGLを1975年に購入した。期待通りの走りっぷりの良さだった。
「次に、1600GSLに乗り、1400SL5に変え、1600GSRを2台手に入れ、今のワゴンの1400GLバンと1600GSR」
 鈴木さんは何のメモも確かめることなく、自分が乗ってきたランサーの年式とグレードをスラスラと諳んじた。
「ウチのお父さん、ランサーに恋しているでしょう。シアワセッ」
 妻の照子さんが、冷やかすでもなく、嫌みっぽくでもなく声を掛ける。聞けば、照子さんはいつも一緒に紀昭さんとクルマのイベントに出掛けているのだそうだ。
「そういえば、ここはスキー場だったわね」

 ランサーで出掛けたイベントや旅行を撮った膨大な写真のあれこれを、照子さんはよく憶えている。北海道や九州へも、できる限り陸地を走って長いドライブ旅行を楽しんでいる。ヒルクライムやラリーに出場する時は、決まって照子さんがナビゲーターを務めている。
「ねっ、いつもお母さんに隣に乗ってもらっているよね」
「ええ。でも、いつもビリでした。要領がよくわからないから、ラリーの申告タイムを間違えてゼロひとつ多く書いちゃったり。ホホホホホホッ」
 とにかく、ふたりはランサーで出掛けるイベントや旅が楽しくって仕方がないといった様子なのだ。2008年の「クラシックアルパインカップ」というヒルクライムには、なんとミニカで出場した。

「いろんなイベントに皆さんから声を掛けてもらえるから、うれしいですよ」
 声を掛けてもらえるのは、鈴木夫妻の付き合いの良さ、面倒見の良さの反映だろう。古い三菱車の愛好クラブ「三菱旧車同窓会」の幹事を、夫婦で10年間以上務めた。
 紀昭さんは70歳で、孫も大きい。"亭主元気で留守がいい"の喩えではないが、世のほとんどの夫婦も鈴木さんぐらいベテランとなると、夫と妻は各自好きなことを各々のペースで楽しんでいるのではないか。

 でも、鈴木夫妻のアルバムには、ランサーとともに二人で写っている写真ばかりなのである。ふたりと3台で、趣味を大いに楽しんでいる。 紀昭さんは、ランサーと写真と自転車。撮影だけでなく、銀塩カメラのボディに自分で見付けてきた本革を貼り付けたり、友人のカメラを修理するのが好きだ。400台はあるという中でも、特に、グレーのリザードが貼られたライカM3がカッコ良かった。自転車は数年前までレースに出場するほど。今は、照子さんや子供や孫のものをフレームを加工して作ってあげている。

 一方の照子さんだって負けていない。地域のバレーボールチームの現役選手で、数年前には全国大会で優勝した。短歌も詠んでいて、こちらも朝日新聞紙上で歌会始の選者に選ばれた。
〈娘より"今から行くよ"と電話ありて仕事を止めて作る栗飯〉
 紀昭さんは保険会社で、照子さんはホテルと製菓工場で働いてもいるのだ。ふたりが口を揃えた。
「だから、ヒマじゃないんですよ」

 たしかに、それだけ活動していたらヒマじゃないだろう。
「ランサーが先にコケるのか、ダンナが先にコケるのか。もう先は見えているのかも知れないんですけどね。フフフッ」
 紀昭さんが座を外した隙に照子さんはイタズラっぽく囁いたが、それは本音の照れ隠しで、紀昭さんが愛おしくて仕方がないに違いない。

小気味よい加速

「ランサー、運転してみませんか?」
 3本のキーの中から、まずはワゴンの1本を渡された。照子さんも一緒に、港の方へ走った。赤信号で停まる度に、古い三菱車の3台隊列に気付いた人が好奇の眼差しを向けてくる。

 ワゴンは1600GSRのエンジンに積み替えられているだけあって、よく走る。マニュアルトランスミッションのギアもカチカチと決まって、軽快そのものだ。
 埠頭へは、あらかじめ紀昭さんが撮影許可を取っておいてくれていた。3台とも、エキゾーストパイプを青く塗ってあったり、ナルディなどの革巻きハンドルに交換してあったりする。2台のランサーは、どちらもバケットシートだ。

 内外ともに、よく手が行き届いている。しばし、3人で記念撮影会。
「毎日乗っていますから、調子が悪くなるとすぐにわかるんですよ」
 一般的になる前から、ずっとユーザー車検で通してきている。ランサーのコンディションは完璧に把握しているので、まず問題は生じていない。
「ま、時々、ソレックスキャブレターの調整を間違えて排ガス規制値をクリアできないことがありますが、それも、2、3回やれば通りますよ。ハハハハハハッ」

 古いクルマに乗っている人に共通するパーツの悩みも、紀昭さんにはなさそうだ。
「メカ部品は、まず出てきますね」
 三菱自動車部品販売の担当者と懇意にしていて、いつも情報をやり取りしている。
「ライトやエンブレムなどの外装部品は、なかなか出てきませんね」

 だから、紀昭さんはランサーのボンネット先端に付く馬やトランクフードに付く1600GSRや5speedなどのエンブレムを自分で再生している。クルマから外したエンブレムを自宅に持ち帰り、夕飯後のダイニングテーブルでプラモデル用塗料を使って、新品同様に仕上げるのだ。筆ではきれいにならないので、女性の旅行用化粧品詰め替え用注射器で流し込む要領で塗料を薄く乗せている。

 次に、1600GSRを運転させてもらった。17年前に、ランサー愛好者から譲り受け、エンジンや足回りなど、いろいろと手を入れてある。
 加速はワゴン以上で、ハンドリングが正確なのに驚かされた。結果的に、乗り心地もいい。なんでも電子制御で任せっ放しにできる現代のクルマと違って、"対話"しながら運転しなければならない。でも、混合気の流れやギアの噛み合い具合を想像しながら運転すれば、クルマとの一体感を強く体得することができる。
 小型軽量で、しっかりしたボディによく動くサスペンションとパワフルなエンジン。国際ラリーで活躍したのが納得できた。そして、紀昭さんと照子さんが虜になって、ロングドライブを楽しんでいることにも共感できた。

 支え合いながら二人三脚で趣味を満喫し、請われて仕事に精を出しているふたりの元気の秘密は、このランサーの走りっぷりにあるようだ。
「ふたりでひとり、よ。それで、ちょうどいいの。今までは、ふたりでふたりだったけど」
 なんて幸せな70代の送り方なのだろう。現役を続けながらも、同時に自分たちの来し方を物理的にも精神的にも整理整頓できている。こういう歳の取り方ができたらいい。

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