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25日間の温泉巡りドライブ大旅行 服部英昭さんと三菱ランサーGSR(1995年型 16年15万2000km)

※お客様より「ナンバープレートも年月を感じる大切なシンボルなので掲載して欲しい」とのお申し出をいただき、ナンバーを掲載させて頂いております。

海沿いに西へ西へ

 待ち合わせ場所でブルーのランサーGSRに乗り込むと、運転席で服部英昭さん(57歳)は革のドライビンググローブを付け始めた。ハンドルはナルディ製の革巻きだ。
「妻のハンドクリームがハンドルの革に染み込んじゃって滑るものですからね。腱鞘炎を患っていて力を入れて握れなかったので、滑り止めのためですよ。でも、それが治っても、こうやって使い続けていますね」
 住宅地の中の片側一車線の道を、服部さんは小気味よくランサーGSRを走らせていく。さりげなくダブルクラッチを踏んでシフトダウンしたりしている。

 とは言っても、語り口がソフトで物腰も柔らかい。だから、ドライビンググローブが意外だったのだ。着いたお宅は一軒家で、書道教室が併設されていた。服部さんは書道の先生だったのである。
 大学の電子工学科を卒業し、オーディオショップに勤務してから義兄が経営する学習塾で教え始め、独立した。
 長年、自宅脇の教室の他、他の教室でも教えてきて、そこへの往復でランサーGSRはこれまでコンスタントに年間1万km以上は走ってきた。だが、公立小中学校の土曜休日制度が始まると、生徒が減った。土曜日が休みの親たちが子供を連れ出して遊びに出かけてしまうからだ。

「でも、その分、中高年が増えましたけどね」
 ランサーGSRで走る年間平均距離は少し減ったけれども、この夏、奥さんとふたりで25日間の大ドライブ旅行に出掛けた。

「これがその時の地図と予定表ですよ」
 地図帳にはたくさんの書き込みが行われ、付箋が何枚も貼り付けられている。25日分の手書きカレンダーには、目的地と宿泊場所、途中の訪問地などがビッシリと記されている。几帳面な人だ。
 行程は、まず、太平洋岸に出て、海沿いを西に進むというものだった。紀伊半島をグルッと回り、大阪、神戸から倉敷と瀬戸内海沿いを走り、下関から日本海側へ出て、秋芳洞から福井を経て内陸に入り、愛知県に戻ってくるという計画だった。

 「ハネムーン代わりなんですよ。今年の春に三男が就職するまで、25年間、仕事と子育てに追われて妻をどこにも連れていってやれなかった。妻の実家のある長野の諏訪か、14〜15年間毎年夏休みに出掛けていた御嶽山(長野と岐阜県境)でのキャンプぐらいしか行ったことがなかったものですから」
 三男の就職の目処が立ったと同時に、旅の具体的な準備を始めた。
「僕は海外旅行でも良かったんですけれど、彼女が“ランサーでドライブに行きたいっ”て」
 25日間の大旅行のテーマは、“温泉巡り”である。綿密な準備によって、ふたりは旅を大いに満喫した。全部で2884kmも走ったが、ほぼ毎日温泉に浸かっていたので、長年患っていた腱鞘炎が治ってしまったというわけだ。

「行き先は問わずにずっと準備だけはしてきていて、資金も100万円用意していました。でも、25日間の費用すべてを合計しても60万円しか掛かりませんでしたよ」
 子供たちが無事に巣立ってくれることを第一に願いつつ、何年も前から準備していた夫婦水入らずの大旅行である。さぞや感慨深く、身心ともに解き放たれたに違いない。

 「気に入ったところには予定を変えて連泊したりしました。反対に、ペースがいいと予定より先に進むことができて、クルマの旅は緩急自在に行動できるところがいいですね。夫婦で大いに満足できました」
 あまりに楽しかったために予定を完遂できず、目標の出雲大社を参拝できなかった。

しかし、先月改めて、一直線に出雲大社にランサーGSRで出直し、お参りを済ませ、天橋立なども見学して帰ってきた。こちらは約1400kmの行程だった。
 「ハネムーンに二回行っちゃっいましたよ。ハハハハハハッ」
 25年間も子育てと仕事に毎日を捧げてきたのだから、二回でも三回でも行ったって構わないですよ。
「息子にも言われたんですよ。"急に旅行に行き出したね"って」

天の川が全部見える

 しかし、服部さん一家が出不精だったわけではない。前述の御嶽山での夏のキャンプなど、「それしか行っていない」と謙遜されるものの、写真を見ながら話を聞いているだけで一緒に連れていってもらいたくなるほど内容が盛り沢山で本格的なのである。
 キャンプ場は標高2100メートルの高地にあるから、星がきれいだ。天の川が全部見えて、数え切れないほどの流れ星が眼の前を過ぎていく。雲海の上に泊まっているので、朝陽も素晴らしい。
 カヌーや川遊び、滝上り、昆虫採集、マレットなど遊ぶことはたくさんある。キャンプに来るようになって、長男は天体観測、次男は昆虫採集に熱中するようになった。三男のクルマ好きは父親譲りかもしれない。
「キャンプって、二日や三日なら、ワァワァやっているだけですぐに終わっちゃうんです。でも、10日間ともなると、どんなに仲のいい家族だって、うまくいかないことや面倒なことが起こってくるんです。それを自分たちで解決して、乗り越えていかなければなりません」

 単なる夏のレジャーを超え、子供たちを教育し、家族の絆を強める、服部家の重要な行事になっていった。
「子供たちは、“毎年ここに来たい”と満足していました。私も、滝をノンビリと眺めたりしてリフレッシュしています。それに、麓の木曽福島のJAスーパーまでの1時間の食材買い出しが楽しみなんですよ」

 行き帰りの山道でランサーGSRを運転するのが服部さんにとってのファン・トゥ・ドライブになっていた。
「交通量が少なく、コーナーが連続して、GSRで走って気持ちいい。普段の街中でも小気味よく走りますけど、“オンタケGSR”はもっと気持ちいいですよ。ハハハハハハッ」
 コーナリングを楽しむために、25日間の温泉巡りの際も、コーナーの多い黄色や緑で地図に記されている道を探しながら走ったほどだった。

メカニックへ寄せる絶大な信頼

 前述の通り、GSRは数年前から走行距離を伸ばすペースが鈍ってきていた。メカニカルトラブルも発生した。
 アイドリングでの振動が大きくなった。
 「あの振動はヒドくて、胃に来ました」
 GSRの主治医である中部三菱自動車販売泉店のメカニック、奥谷嘉弘さんはあちこち探りながら少しずつ修理してくれたが完治しなかったので、最終的にエンジンヘッド交換を決断した。吸排気バルブなどもすべて交換する大工事だった。

「まったくの別物に生まれ変わりました。ヒドかった振動は消え去り、回転が滑らかになりました。吹き上がりも鋭くなったほどです。これはもう工場のアッセンブリィラインで組み立てられたGSRではなく、私のことをよく知ってくれている奥谷さんが組んでくれた特別なクルマなのです」

 服部さんが奥谷メカニックに寄せる信頼感には絶大なものがある。ふたりの付き合いは、服部さんが当時の東尾張三菱自動車販売の尾張旭店からGSRを購入した時から始まる。

「購入して2年目ぐらいまでは、メーターやECUなどに故障がよく起こっていたんです。奥谷さんは僕の話によく耳を傾けてくれ、誠実に対応してくれました。優秀で、マジメ」

 その後、奥谷さんが泉店、春日井店、泉店と勤務先を変わる度に、服部さんは追い掛けていった。
「“このパーツはまだ使えます”とか“量販店で買って自分で交換した方が安上がりです”といったようなアドバイスは当たり前。いつものことです」
 客の立場に立って仕事を進められるメカニックが信頼を勝ち取っていくという話は、よく聞く。しかし、奥谷さんには“その先”があるのだ。

「服部さん、もしこのパーツがダメになったら、こんな症状が出てきます。でも、心配要りません。直せば、シャキッとしますから」

 不具合が起きそうな部分と、起きた場合の見通しまで提示してくれるのだ。それならば服部さんは余計な心配をする必要がなくなるので、大いに安心できる。そこまで考えて顧客に接してくれるメカニックがいるなんて、僕も初めて聞いた。医者が問診をして患者の不安を和らげているようなものだ。服部さんが奥谷さんを頼っているのがよくわかった。

「実は、夏の旅行から戻ってきたら、買い替える予定だったんですよ」
 ええっ!?
 プロペラシャフトとパワーステアリングからのオイル漏れが見付かり、修理には25万円掛かることがわかった。前回車検時にハーティプラスメンテナンスに加入してはいたが、次回の車検時にまとめて修理するとなれば40万円を超える出費は避けられない。

 「トランクフードのトーションバースプリングが折れてしまったのですが、すでに手に入らなくなっていたことも買い替えを後押ししていました」
 自宅以外の教室に教えに行く時の荷物を見せてもらったら、とても量が多く、重いのに驚かされた。半紙の束、資料類、シート、加湿器などショッピングバッグ5つにもなる。両手に提げて一回でGSRから下ろせる量ではない。スプリングの折れたトランクフードでは手で押さえておかないとバタンと閉まってしまう。荷物を上げ下ろしするには、開けたままにできないととても不便だ。

 諦め掛けていたら、奥谷さんがランサーMR用が流用できることを突き止めてくれ、直してくれた。型番が違うので使えないものだと思っていたが、「もしかして……」と当てがってみたら、使えることが判ったのだ。
 「杓子定規に決め付けず、まず試してみる。そういったところも実に奥谷さんらしいです」
 奥谷さんは服部さんより20歳くらい若いので、休日に子供と遊びに行くのにはどこがいいかなど、プライベートのことに関しては反対に服部さんが教えることもある。
 奥谷さんが一級整備士の国家試験に合格したお祝いに、服部さんはテニスショップの「ガット交換券」を贈った。
 「とても喜んでくれました。奥谷さんが面倒を見てくれる限り乗り続けることにしましたよ」

 夏の御嶽山キャンプは卒業したが、これからは奥さんとの旅を存分に楽しめるようになった。第二の人生でも、ランサーGSRが服部さん夫妻を乗せて走る。腱鞘炎は治ったけれども、グローブははめて運転する。それが服部さんのスタイルになったのだ。

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