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本籍きのくに、現住所パジェロ 堀真一郎さんと三菱パジェロ(1988年型 24年97万km)

※お客様より「ナンバープレートも年月を感じる大切なシンボルなので掲載して欲しい」とのお申し出をいただき、ナンバーを掲載させて頂いております。

森の中の学校

 学校だと聞いていたけれど、校舎などまったく見当たらない。濃い森の中の、クルマが擦れ違えないくらいに細くて急な山道を、さっきからもう10km近くも走り続けている。
 レンタカーのカーナビは「目的地の近くに到着しましたので、案内を終了します」と言って切れてしまった。対向車も来ない。
 少し戻ってみて、さらに細い路地に入ってしばらく走ったら建物が見えてきた。でも、学校には見えない。大きな家か会社のような建物が何軒も建っている。
 ちょうどこちらに歩いてきた中年男性に訊ねたら、
ここがその"きのくに子どもの村学園"だった。

 学園長である堀真一郎さんが三菱パジェロを24年97万kmも乗っているというのだ。
いったいどこをどう走ったらそんなに距離が延びるものなのだろうか。
 電話では、「パジェロの取材だったら喜んで受けます」と穏やかな声だった。Eメールには、「学園の職員40人中10人がパジェロと名の付くクルマに乗っていたことがあります。今でも、イオ3台、ジュニア1台、ミニ2台があります」とあった。

 現れた堀さんは、電話の声の通りの穏やかで優しい人だった。
堀さんに案内されて校舎の中を後から付いて進んでいくと、ここが普通の学校とは違った学校であることがすでにわかってきた。
 この学園では、兵舎のように長い廊下があってその脇に同じ大きさの教室が並んではいない。さまざまな大きさや形態のスペースがいくつも続き、生徒たちはそれぞれ違った学習をしているようだ。
途中で、食事を摂る広い部屋を通り抜けた。ちょうど昼食が終わったばかりらしかった。
 どの部屋にも空間にも、生徒たちが書いた張り紙やポスターなどがたくさん貼られている。それらは先生から命じられ、予定調和的に書かされている感じがしない。
 張り紙やポスターだけでなく、校舎や教室なども多少は雑然としているが、管理が強くない分、活き活きとしている。
 それもそのはずで、この学校は1992年に文部省(現文部科学省)から戦後始めて学校法人として認可された自由な学校なのだ。小中学校と国際高等専修学校がここにある。

「従来のやり方にとらわれない勉強の仕方を教えています」

 自己決定、個性化、体験学習という三つの原則に基づいて運営されているそうだ。

 それまで大阪にある大学の教授だった堀さんが、1992年に作った。その動機や運営方針などを伺っていると、頷かされることがとても多い。

 パジェロは学園と大いに関係があった。それまで三菱ギャランに乗っていて、週末だけ運転していた先生が、この山の中に開校することを決め、準備を始めた1988年にパジェロに乗り換えた。

「人と荷物をたくさん積めて、山の天候とか路面状況にも左右されない4輪駆動ということで買い替えました。
ちょうど、パリ・ダカールラリーでパジェロが3位に入賞したというニュースを聞いたのも憶えていますね」

 試乗してみたら、静かで乗り心地も良く、高い着座姿勢から遠くを見渡しやすい点が気に入った。

「ギャランを下取りに出したこともあって、370万円を340万円にまで値引きしてくれたのも決め手になりましたかね。ハハハッ」

 学校の理念に賛同した企業からの寄付なども得ることはできたが、何か母体のようなものがあったわけではない。節約できるところはなるべく節約しなければならなかった。

「カネコさんの後ろにある机やコピー機なんかも知り合いの幼稚園が使っていたものを譲り受けてきました。どちらもパジェロで運んで来たんですよ」

 引き出しが両袖に付いた大きく重たそうな机は、今でも使われている。

一年で4万5000kmも走った

 敷地内を案内してもらうと、「これは小学生が作りました」、「こっちは中学生が建てた家です」という風に、生徒と先生たちが作ったものが多い。自分たちで考え実践するという教育方針通りだ。

「学校とは建物のことではありません」

 1992年の開校まで、堀さんは自宅と大学とここの敷地との往復に加えて、役所や企業なども毎日回り、多忙を極めていた。どこへもパジェロのハンドルを握って出掛けていた。
特に開校直前の一年間は忙しく、4万5000kmも走った。

「準備期間中から、パジェロはよく働いてくれました」

 最初に小学校が開校し、その2年後に中学校が始まった。忙しさは変わらず、パジェロの走行距離は24万kmに達した時、30万kmまで乗ってみようと決めた。

「昔は、5、6万kmでクルマを買い替える人が多かったし、自分でもパジェロに24万kmも乗ることになるなんて想像もしていなかった。だから、区切りのいい30万kmまで乗ってみることにしたんです」

 ちなみにパジェロはディーゼルエンジンを搭載していて、今でも街なか中心でも10km/lは走るそうだ。

「大きく重たいから揺れないんですね。乗り心地がいいのは、まわりの人たちからも評判が良いですよ」

 30万kmはすぐに来て、買い替える気も起こらず乗り続けていたら、今度は40万kmも越えてしまった。

「50万kmになった時には、うれしくって東京の三菱自動車に電話入れました。
そうしたら、4輪駆動車専門雑誌に紹介されて、インタビュー記事になりました」

 その切り抜きは、学校の掲示板のひとつに貼ってあった。
 30万kmになったら乗り換えを考えようかと堀さんは考えていたが、快調に走っていたパジェロを無理に買い替える理由も強いて見当たらず、乗り続けていた。
 ダイナモやオートマチックトランスミッション、サビが出始めてきたボンネットフードやフロントフェンダーなどは交換しても、路上で立ち往生してしまうような故障には遭ったことはなかった。

 しかし、そうは言っても、50万kmを越えてからは「そろそろ換えた方が……」とは気持ちのどこかで考えていた。
 なぜならば、以前にも増してパジェロで走るペースが上がってきたからだ。中学校開校の7年後には国際高等専修学校を開き、福井県にも中学校を開いた。さらにその8年後には北九州市に小学校を、その翌年には山梨県にも小学校を、という具合に次々と新しい学校を開いているのだ。
 その準備のために、堀さんは和歌山の山の中からパジェロで東奔西走していた。
 準備だけではなく、現在でも、毎週、それらを巡って授業を行っているというから驚く。フェリーを使うこともあるけれども、基本的にはパジェロをひとりで運転して出掛けている。

「通勤圏みたいなものですよ」

 月曜日にフェリーで九州に向かい、火曜日は福井。一泊して山梨へ向かい、また一泊して金曜日に和歌山に戻ってくる。

「"本籍きのくに、現住所パジェロ"って冗談を言っていますよ」

 97万kmという異例の長距離走行の理由は、これだったのか!

毎週のグランドツアー

毎週、和歌山→北九州→福井→山梨→和歌山というグランドツアーをパジェロで走っているからだ。
 そんなに長距離を走ってばかりいて、身体は疲れないのだろうか。堀さんは69歳である。

「疲れませんよ。人間は言うことを聞いてくれませんが、クルマは聞いてくれますからね。ハハハハハハ。それに、運転中は考え事が進むからいい。週に一回行くだけなのに、子供たちが相手をしてくれて、労ってくれますから、私は得をしています」

 97万km走ったパジェロは、サビだらけだ。左フロントフェンダーのサビには苔まで生している。

「ドアの下の方のサビは中学生が塗装してくれたんですよ」

 右側は大丈夫だが、左側は再びサビが浮き始めてきている。
 ドアを開けると、中は雑然としている。本や資料類だけでなく、衣服や靴なども放り込まれている。ネクタイなどはグリップに結び付けられている。「現住所パジェロ」の通り、まるで堀さんが暮らしているようだ。

 男の一人暮らしだから、シート表皮がヒビ割れて、中のクッション材が顔を覗かせていても気にしない。
 整然とはしていないが、超長距離を運転して移動する日常がそのまま剥き出しになっていて、この方が堀さんには使いやすくて、心休まるのだろう。学校から受ける印象と、どこか似ているところがある。

「新しい方も持ってきましょうか」

 一昨年、パジェロロングディーゼルを一台購入した。新世代のクリーンディーゼルが決め手となった。長距離はこちらに任せ、97万kmは近くを走るように乗り分けるようにした。
 新しいパジェロの走行距離は、もうすでに8万kmに達しているのは、毎週のグランドツアーがいかに距離を延ばしているかの証拠だ。

新旧のパジェロディーゼル

 校舎の前に2台を並べていると、子供たちが集まってきた。みんな、先生と呼ばず、「堀さん、堀さん」と話し掛けてくる。他の先生も名前やニックネームで呼ばせるようにしている。

「子供から話し掛けやすくするためです。でも、敬意を払うことも教えていますよ」

 小学生の女子が97万kmを指差している。

「こっちのクルマは可哀想やで。このごろは、堀さん、新しい方ばっかり乗っちゃってるから」

 子供も、よくわかっているのである。
 実は、97万kmパジェロは96万kmでエンジンを交換している。路上でエンジンが停まり、再始動しなくなってしまったのだ。

「新しいのがありましたから困らなかったけれども、そのまま廃車にしてしまうのは忍びなくてねぇ」

 ディーラーで代わりとなるエンジンを探してもらったが見付からなかった。堀さんは八方手を尽くして何とか見つけ出した。それを和歌山のディーラーに送ってもらい、載せ替えたのだ。

「快調ですよ。まだまだ現役で乗りますけど、いいクルマでしたね。
軽トラック一台分ぐらいの荷物が積めた時にはビックリしましたよ」

金曜日だったので、併設された寮で生活している生徒たちが週末帰宅していく。学園の教職員のほとんどは2種免許を持っているので、複数のマイクロバスを運転して駅まで送っていく。

 堀さんとパジェロも、週末なのでそんなに遠くまでは行かないだろう。昨日、山梨から帰ってきたばかりなのに、月曜になればまた北九州に向けて出発だ。

「私も、いつか引退しなければなりませんが、子供と一緒にいる時が一番楽しい」

 理想的な学園を作りたいと思い、こうして実現できたから幸せだと堀さんは言う。
でも、大変な思いもされたのではないか。堀さんは、苦労話や自慢話の類は一切しない。

「クルマがパジェロだったから良かった。パジェロだったから、学園設立を十分に助けてくれたのだと思います」

 その言葉の通り、パジェロは学園の一部と化してしまったように見える。パジェロは堀さんを助け、堀さんの信念とその結果である学園が多くの人から支持を集めたからこそ、97万kmも走ったのだ。新しいパジェロが、すでにそれを引き継ぎつつある。

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