※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。
写真右はミニキャブ トラックを運転中のお写真です。

博物館に展示されるような希少なクルマでもない限り、以前に自分が乗っていたクルマに遭遇することなんて中々あるものではない。ましてや、そのクルマを再び手に入れて乗り直す人なんて珍しい。
でも、いたのである。
滋賀県在住の自動車整備士、川原崇さん(33歳)は、かつて家族と自分で13年19万3000km乗り続けた三菱パジェロミニと再会し、譲ってもらった。ナンバーが切れた状態だったので、再度車検を受ける準備を進めているところだ。
パジェロミニは川原さんが高校生の頃に購入した。それまで他の軽自動車に乗っていた母親の次のクルマを探している中から選ばれた。クルマ好きだった川原さんも、いずれ18歳になって運転免許を取得したら運転させてもらうことになるので、自分のクルマを選ぶかのように一緒になって検討した。
「その頃、パジェロミニは大人気で、四駆は乗ったことなかったので興味津々でした」

ショールームに見に行ったら、グリーンとシルバーの3ウェイ2トーン塗装の施された限定車があり、それに決めた。
「作り込みが良くって、両親も僕もすぐに気に入りました」
その時のパジェロミニにはVR-TとVR-Uというふたつのグレードがあったが、川原家が選んだ限定車はVR-Tをベースにしたもの。
「価格が安いVR-Tなのにパワーウインドが付いているのがうれしかったですね」
他に、フォグランプが装着され、ルーフレールがシルバーに塗装されている点が限定車の特徴だった。

トランスミッションに5速マニュアルを選んだのも川原さんの好みだ。
「友人の家にパジェロミニのオートマがあって燃費が良くないと聞いていたのと、マニュアルならば好きなギアと好きな回転数で走れるから、断然に面白いんじゃないかとマニュアルと主張したわけです」
この時代、三菱自動車に限らず軽自動車のATは3速のものがほとんどで、川原さんの言うように燃費面では不利だった。
「実際に乗ってみて、やっぱりマニュアルはクルマを操縦している感じがして楽しかった。マニュアルの面白さをパジェロミニに教わったようなものです」
18歳で運転免許を取得して、同時に専門学校に進学。授業が早く終わった日や休日などにパジェロミニにはずいぶんと乗った。

「燃費も、友人の家のオートマより良かったです」
母親は買い物や日常的な移動手段としてパジェロミニを活用した。
この頃、父親は軽トラックに乗っていたから、パジェロミニは川原家のファーストカーだった。両親と妹と一緒に食事に出掛けたり、遠く岐阜の長良川や琵琶湖の花火見物に行ったりした。
「遠いところだと往復300kmぐらい、奈良の端の方ぐらいまでドライブしたりしていました」
専門学校を卒業して就職した会社は関東にあったが、週末に帰郷した時などにパジェロミニには乗っていた。
数年後、滋賀県の建設機械メーカーに転職してからは自宅から毎日往復約60kmの通勤に4年間使用した。

さらに数年後、川原さんは自動車販売店に転職する。現在は独立を模索しながら知人の店を手伝っているが、パジェロミニは、かつての勤務先であるその自動車販売店の店先に置かれているのを偶然に発見した。
手放したのは、父母からのプレッシャーだという。
「古くなったのだし、クルマを2台も持っている必要はないだろう。どっちか一台にしなさい」

川原さんは、その前に中古の三菱デリカを手に入れていたのだ。12年10万kmのものを20万円プラス登録諸費用という格安価格で手に入れた。
「車中泊するひとり旅が好きなんですよ」
滋賀から信州や北陸によく行っていた。林道を走って、車中泊でなく、キャンプをすることもあった。冬でも、アルミマットを敷いて冬用のシュラフで、道の駅や温泉の近くの駐車場に泊っていた。
古くなったパジェロミニを処分せよと言ったご両親のお気持ちもなんとなくわかるような気がする。息子が好きな車中泊を満喫できるデリカを手に入れたのだから、2台持つのは無駄だと教えるのが親というものだからだ。
言われた通り、川原さんは1万3000円で勤務先の自動車販売店にパジェロミニを売った。販売店は、車検整備なども受け付けていたので、顧客に貸し出す代車用の一台としてパジェロミニを買った。
組織変更によって店員が全員退職してからはパジェロミニを眼にすることもなくなった。

デリカがあるから移動の足には困らないはずだったのに、壊れてしまった。それも、深刻な壊れ方だ。
「オルタネーターの取り付けが緩んで外れたのですが、ケースごと交換しないと直らないんです。買った値段よりも高い修理代になるので、そのままにしています。燃料噴射ポンプ交換ですでにおカネも遣っているので、すぐに修理に取り掛かれないんですよ」
さらに曲折があって、その店の従業員がパジェロミニを個人的に買い取り、通勤用に乗っていたというのだ。
店先に置かれていたのを川原さんが初めて見付けたのが2013年の春。

「最初は、あれっ?と思いました」
自分のクルマかどうかはすぐにわかった。夏になった頃、また前を通ったら今度はナンバープレートが外れていた。
「“あ、乗っていないんだ。聞いてみようかな”と思うようになりました」
もともと、別れたくて手放したわけではない。両親から厳しく命じられたからだった。
2013年秋になって、譲って欲しいと話しに行った。簡単に承諾され、名義変更するだけで済んだ。
「もう一度このクルマに乗れることになるなんて、ありがたいというか何というか……」
走行距離は1万6800km増えていたが、パジェロミニはクルマの修理のプロの元を巡っていたので、コンディションは上々で戻ってきた。
「母親には、“また乗るの!?”って言われました。言っても聞かないと半分諦めているのかもしれませんね。ハハハッ」
川原さんの作戦勝ちだ。両親から命じられ、渋々手放すことになった時に、なるべく遠くに行かないような相手、つまりかつての勤務先に売却した。
「ターボのマニュアルは海外で人気だそうで、ずいぶんと中古車が輸出されているそうですからね」
輸出されてしまったら、買い戻すのは至難の業だ。

父親は亡くなった。生前に注文した三菱ミニキャブ ダンプには乗ることができなかったのが心残りだ。

「この新明和工業製の荷台を装着できるのは今のうちだからって注文したのですがね」
ミニキャブ ダンプは特装車で、見るからに頑丈なシリンダーが荷台を斜めに持ち上げる。
「コンバインで刈り取ったモミを田んぼから荷台に載せて運び、荷台を斜めにして一遍に降ろすような使い方もでき、普通の軽トラなんかよりもダンプは農作業になにかと便利なんですよ」
川原さんは子供の頃から働くクルマが大好きで、このミニキャブ トラック購入も強く勧めた。父親は建設会社に勤めながら4.5ヘクタールの田んぼを耕す兼業農家を営んでいた。
「琵琶湖周辺の大規模農家では2トンや4トントラックが主力ですけれども、山間部やこの辺では軽トラ以外は考えられませんよ。軽トラは日本の農業を支えています」

僕のような門外漢には、軽トラックはエンブレムを見なければ見分けが付かないが、川原さんはメーカーごとの個性の違いを把握している。その解説は大変に面白いのだけれども、脱線してしまうので紹介しないが、ミニキャブの特徴は他メーカー製の軽トラよりもキャビン空間と荷台面積のバランスが絶妙で、丈夫で長持ちなのだそうだ。
パジェロミニは、戻ってきてからエンジンオイルとバッテリーを交換した。マフラー交換とラジエーター修理の必要もある。マフラーは純正パーツを探し、ラジエーターは専門修理業者に依頼するつもりだ。
それらの作業は、4月の車検取得に併せて行うことになっている。
「荷台が斜めになるだけのことですけれども、ダンプは乗ると手放せなくなります」
遠くないうちに川原さんは父親の米作りの跡を継ぐことになるから、ミニキャブ ダンプはその時に大活躍することになるだろう。ナンバーを取ったパジェロミニとの2台態勢にまた戻る。
「パジェロミニとダンプって、丈夫で良く走ってよく働く軽自動車ということで、どこか似ているんですね。今度は、どちらかが壊れて一台になってしまうようなことはないでしょうね。ハハハッ」
だから、手放すこともないだろう。車中泊も、助手席をベッド代りにしたパジェロミニで出掛けるつもりでいる。
