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生まれて初めて乗ったクルマに乗っている 青沼季明さん、政明さんと三菱ギャランVR-4(1988年型 27年6万8000km)

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

ファーストコンタクト

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 自分のクルマと出会った時のことは、みなさん良く憶えていることでしょう。新車だったら納車された時、中古車だったら展示されている時や前の持ち主が乗っているのを見た時。

 新車の場合は、そのクルマをどこで知ったかも記憶にあるはずだ。モーターショーや自動車メーカーのサイトで発表された時のことだったり、それらがメディアで報じられた時だったり。いずれにしても、ファーストコンタクトとは記憶に残るものだろう。

 23歳の青沼季明さんは自分が乗っている三菱ギャランVR-4とのファーストコンタクトはハッキリ憶えていない。なぜならば、自分が生まれる前から家にあったからだ。

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「父が運転するこのクルマに乗って、生まれたばかりの僕は母に抱かれて産院から家に来たんですよ」

 生まれて初めて乗ったクルマを、今では自分が引き継いで乗っている。それも父親のお下がりとしてではなく、大きく胸を張って乗っていると聞いて山梨の甲府に訪ねてきた。季明さんが運転免許証を取得して初めて運転したクルマは、もちろんこのギャランだった。途中、他県の短期大学に入学した時に通学用にギャランを持っていっていたのだが、半年で戻してランサーエボリューション3を買った。

「屋外駐車や冬の融雪剤が心配で、戻したんです。なんか、ギャランが戻りたがっていそうでしたから」

 そのエボ3は卒業前に自損事故で廃車。卒業、就職して自宅に戻ってきてからは再びギャランに乗っている。最近では、通勤用に軽自動車を購入し、ギャランを運転するのは休日に遠出したり、三菱車ファンの仲間たちと会う時などに限られている。

装甲車のようで好きでなかった

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 父親の政明さん(66歳)も、ギャランを購入してしばらくして、並行して軽自動車を持つようになり通勤用に使っている。

「通勤なら軽で十分ですし、ガソリン代も節約できますから」

 27年間という所有期間の長さに較べて走行距離が短いのはそのためだ。

 政明さんの通勤用軽自動車は、現在、三菱eKスポーツ。その前はブラボー、ミニキャブ、ミニカと三菱の軽自動車を乗り継いできている。でも、三菱の乗用車に乗るのはギャランが初めてだった。

「すべての日本メーカーのクルマに乗りましたよ」

 それも、一台に短くて3年、長くても7年しか乗らずに、次から次に買い替えていっていた。では、なぜギャランに乗ろうと思ったのだろうか。

「三菱のクルマはどれも装甲車のようなカタチをしていて、あまり好きではなかったんですけどね」

 ゴツいカタチが好きだと言う人もいれば、そうではない人もいる。人それぞれだ。

 政明さんがギャランに関心を持ったのは、当時の同僚の兄が勤めていた三菱自動車のディーラーを訪れたのがキッカケだった。

「スキーですね。長野県で生まれて、子供の頃からスキーをやっていて、山梨に引っ越してきてからもクルマで長野に滑りに行っていたんです」

 当時は、日本車でも4輪駆動システムを備えているセダンは珍しかった。加えて、まだスタッドレスタイヤが一般的ではなかったから、前輪駆動や後輪駆動のふつうのクルマでスキーに行くにはチェーンを装着しなければならなかった。

 僕も同じ頃にスキーに夢中になっていたからよくわかる。チェーンは雪が道路に積もり始めたり、凍結しているところで巻き始める。そのままスキー場まで巻き続けて走ることの方が稀で、道路状況が好転すれば外し、スキー場のある山に入るところでまた着けなければならなくなったりする。スキー場が家から遠くなればなるほど、チェーンの脱着回数は増え、帰りも同じことを繰り返さなければならないのだ。

 帰路はまだしも、往路での脱着に要する時間がもったいなくて仕方がなかった。その分、一本でも多く滑りたかった。

「ギャランに渋々飛び付いて買ったようなものでしたけれども、速いし、自分の思い通りに走れるし、すぐに気に入りました」

 やがて季明さんが生まれ、長男も一緒に家族4名でギャランで夏休みの旅行や冬のスキーに出掛けるようになった。夏休みには、親類のいる富山や新潟、一番遠くは青森まで出掛けたことがある。ギャランの高性能が家族の行動範囲をさらに拡げた。

「ブレーキ性能だけが不満で、後から後期型の2ポッド式に交換しました」

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 季明さんがギャランと一緒に写っている写真は、幼稚園児だった時に新潟に旅した時のものだ。

「幼稚園児でしたけれども、“ギャランは特別なクルマ。遠くに行く時のクルマ”とわかっていましたから、ギャランに乗るのはとても楽しかったです」

 時には、季明さんの期待に反して軽自動車で出掛けるような時には機嫌を損ね、政明さんから嗜められるようなこともあった。

「ギャランは僕が乗るからそれまでずっと乗っていてね」

 小学校に上がるようになると、季明さんは政明さんに頼むようになった。男の子が二人いて、よく遠くへ旅行していたから、今だったらすぐにミニバンに買い替えてしまうことだろう。

「わかった。じゃあ、乗り続けよう」

 政明さんも約束した。

ギャランは特別なクルマ

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 中学生になって、季明さんのギャランを見る目が変わった。ギャランがWRC(世界ラリー選手権)を戦っていたことを知ったからだ。

 きっかけはランサーエボリューションのWRCでの連続チャンピオン獲得だった。

「クルマ好きの友人たちから聞いたり、本や雑誌などでランサーの活躍を知りました。ビデオも買って、ワクワクしながら観ていましたね」

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 そうすると、ランサーの活躍ぶりだけでなく、当然のように三菱自動車のラリー活動の歴史を遡って知ることになる。ランサーの前の三菱のWRCマシンはギャランに他ならない。

「そうか! ランサーの前はギャランだったんだ!! ギャランはスゴいクルマなんだっ」

 その時から、季明さんのギャランを見る目が変わった。

「ただの“家のクルマ”から、WRCを戦うラリーカーに変わったのですから」

 その時から、自分がギャランを引き継いで乗ろうという気持ちの重みが増していった。

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 一方で、その頃には政明さんはもうギャランを乗り換える気持ちは無くなっていた。

「息子と約束したこともありますし、その頃になると買い替えてまで乗りたいと思うようなクルマがなくなったと考えていました。私は、世の中の多数派ではない、個性の強いクルマに惹かれていたのですが、どこのメーカーももうそういうクルマを出さなくなってしまっていましたからね」

 その代わりに政明さんは通勤用の軽自動車は乗り換えているから、望みは満たされているようだ。

「eKを選んだのは、高過ぎないボディ全高と広い車内が気に入ったからです。仕事仲間もeKに乗っています」

 長男は独立して家庭を構え、季明さんも同居しているとはいえ毎日仕事に通っている。昔のように、家族でギャランに乗って旅行に行くようなこともなくなった。スキーにも行かなくなった。だから、ギャランのハンドルを握ることが多いのは季明さんの方だ。

「(お父さんは)持っていることで満足しちゃうタイプなんじゃない?」

「そんなことないよ」

「一眼レフカメラだって、欲しい欲しいって買う時は熱心だったけど、最近、撮っているところを見たことないよ」

「ちゃんと撮っているって」

「いやいや〜、どうかなぁ」

「ん、まぁ、確かに買ったはいいけど、最近はプリントアウトもしなくなっちゃったからなぁ」

 仲がいい父子なのである。

原因不明のカブリ

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 季明さんには三菱のクルマを愛好する仲間がいて、そのうちのひとりである武井修一さんが勤務するクリーンカー甲府に立ち寄った。同じ仲間の奈須恵さんも遊びにきていた。武井さんはランタボ、奈須さんはギャランに乗っている。武井さんは店頭のクルマを動かして、現行型ギャランフォルティスをギャランの隣に並べて撮影させてくれた。武井さん、ありがとうございました。

 彼ら以外にも三菱車好きが集まり、いつもワイワイやっている。奈須さんのギャランは、昨年の大雪で自宅車庫の屋根が雪の重さでツブれ、その下敷きになってしまった。それを聞いたここのみんなで修復作業を手伝って、もうじき完成するそうだ。

 クリーンカー甲府を辞する時、季明さんが始動しようとしたギャランのエンジンが1、2秒間だけグズ付いた。

「あれっ、またカブッたかな!?」

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 エンジンは掛かり、正常なアイドリングに入ったけれども、季明さんによれば時々3気筒しか爆発しなくなることがあるという。原因を調べたけれども判明しなかった。

 ギャランは、27年間で大きなトラブルは引き起こしてはいない。

「ブレーキパッドがディスクに固着したことがありましたけれども、分解してピストンのサビを取って直しましたし、エアコンのコンプレッサーのネジが緩んで異音が発生したことぐらいですかね。本当に丈夫ですね」

 政明さんが軽自動車と2台態勢でギャランに乗るようになってから、バッテリー上がりを防ぐために車庫に充電器を設置し、毎日タイマーで一定時間充電するようにしている。政明さんは電気関係の仕事をしているのでお手のものなのだ。

 トラブルではないが、ローから2速にシフトアップする時に、急ぐとギアが鳴るというのは父子揃っての感想だ。ゆっくりシフトするか、ダブルクラッチを踏むようにしている。

「ここまで乗り続けるとは思いませんでしたね。今では息子の方が乗ることが多いですから、譲ったようなものです。譲ることになっても構いませんよ」

 青沼父子のギャランVR-4は、ファーストカーなのだけれども、特別な時にしか乗られない特別なクルマ。“ハレの日のクルマ”だ。父は4輪駆動と走行性能に惚れ、息子は幼き日の思い出とWRCの栄光への憧れを重ね合わせている。父も息子も、それぞれギャランに違った想いを寄せているところが面白い。だから、こんなにも長く乗り続けているのだろう。

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