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2018.09

兵庫県

誰かのために手を動かしている

新田信之さんと
三菱タウンボックス RX(2001年型)

017YEARS

0330,000KM

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

軽の"箱バン"を選ぶ理由

子供の成長は、クルマを買い替える動機の最も大きなもののひとつだろう。
兵庫県の新田信之さんは、17年前に長男が1歳を迎えた頃に、それまで乗っていたクルマを三菱タウンボックスに買い替えた。
それまで乗っていたのは2ドアクーペで、小さくはないボディだったが不便だった。チャイルドシートを取り付けて子供を乗り降りさせたり、ベビーカーや育児用品などを乗せるのにとても難儀した。
主に奥さんが乗ることになるので、子供のことや日常の使い途を考慮しながらクルマ選びを行っていった結論がタウンボックスだった。

「背が高くて、子供を乗せたり降ろしたりしやすくて、荷物もある程度の量を積み込める。それでいて、取り回しやすいサイズが望ましいので、軽自動車の“箱バン”の中から選ぶことにしました」

タウンボックスは最初から有力候補だった。FR(フロントエンジン・後輪駆動)ベースの4輪駆動とMT(マニュアルトランスミッション)が用意されていたからだ。LSD(リミテッドスリップデフ)が選べる点も大きかった。
それというのも、FRに対するFF(前輪駆動)についての新田さんの持論があるからだ。その持論とは、「FFはタイヤの負荷と駆動部分の機械的な負担が大きい」というものだった。
たしかに、FFは前輪が駆動輪と操舵輪を兼ねている。FRは駆動を後輪が行い、前輪は操舵だけを行う。

「だから、FRは役割が分担されているからバランスが良いのですね」

自動車工学的な常識のひとつだが、近年は技術や素材の進化によって、FFでも実用的な用途には十分に耐えられるという“常識”もまた生まれている。

それでも新田さんがFRにこだわるのは、新田さんが長年、モータースポーツに携わっているからだった。プライベートチームに所属し、20年以上もドライバーをはじめとしてメカニックなどのチームメンバーとして各種の自動車レースに参戦していた。最近では、レースオフィシャルとしてモータースポーツに関わっている。
クルマの構造の違いが明確に現れるレースの現場での豊富な体験が、たとえ家族の日常的な用途のためのクルマであっても、原理原則を疎かにしないという姿勢を貫く。こうした人は最近少なくなった。

年間平均2万km走行

タウンボックスは有力候補だったが、購入を最終的に決定付けたのはディーラーでのことだった。
近くの各自動車メーカーのショールームには、箱バンタイプの軽自動車は試乗用だけでなく展示用のデモカーも用意されていなかったのだ。
しかし、姫路三菱自動車販売の姫路店では運転こそできないものの、シートに腰掛けて運転時の視界、ペダルの位置関係、掛け心地などを確認できた。チャイルドシートに見立てた段ボール箱を後席に置いて、奥さんが確認したかったことを細部までじっくりと一緒に確認できたことが大きかった。

パートタイム式の4輪駆動仕様を選んだのは、奥さんの実家が積雪地帯にあるためだ。

「タウンボックスは最低地上高が低いために、ぜひとも4輪駆動にしたかったです」

MTに関しても、新田さんは注目すべき見解を持っている。

「MTは運転に左足と左手も使うので、踏み間違い事故などを防げると思います」

MTはクラッチ操作を伴うから、昨今の高齢者の暴走事故を防ぐのにも効果があるという説は根強い。新田さん夫妻はまだそんな年齢ではないのだが、用心するに越したことはないという。

「父の手術を行ってくれた脳外科医も、“左足と左手を使わないと脳内が混乱して脳と身体の連携動作に良くない”と言っていましたから」

自分がMT好きだということもあるのだろうが、奥さんを思う気持ちも強い。
そんな新田さんの思いを知ってか知らずか、タウンボックスを注文する時に奥さんはカタログの写真を見て言った。

「まんま、商用車やん!?」

その通り、タウンボックスは5ナンバーの乗用車なのだけれども、素っ気なさすぎるというのである。
そこで、奥さん思いの新田さんはタウンボックスM2を勧めた。専用のフロントグリルと前後バンパー、サイドステップなどを装着したモデルだ。だいぶ、商用車っぽくは見えなくなる。

新田さんのタウンボックスに乗せてもらって驚かされるのは、メーターに刻まれた32万6013kmという走行距離だ。
17年間で33万km。ざっくり平均すれば、年間2万km。通勤で往復80km走っていた期間が長かったのが距離を伸ばした理由だ。
他にも、買い物や子供たちの送迎など日常的な用途に用いられている。

納車の日に工場へ戻る

故障やトラブルなども少なくない。驚かされたのは、納車の日のことだ。受け取って、ディーラーを出て30kmほど走行したところで、4速から3速へシフトダウンしてもギアが入らなかった。

応急措置として、新田さんは4速から2速へ入れてすぐに3速へシフトアップすることで難を逃れた。4速から2速へ入れる時にはエンジンのオーバーレブを防ぐために、クラッチを切ったままでシフトを行った。

「原因は、ミッション内部のシフトフォークの歪みでした」

Uターンしてタウンボックスはそのまま預けられ、新田さん一家は代車で帰宅した。家族で新車を購入し、それを運転して帰ってくるというのは大きな喜び以外の何ものでもない。それが挫かれてしまったのだから、憤懣やる方がなくなってもおかしくない。

「ええ。でも、メカニックの部長さんの対応がとても良かったので、怒ることはありませんでした」

部長氏は、戻ってきた新田さんから話を聞きながらタウンボックスを確認した。

「これは載せ替えや。大変に申し訳ありませんでした」

一般的な対応ならば、瑕疵を認めたとしてもタウンボックスをいったん預かって対応を検討するはずだ。しかし、状況を見極め、即断で非を認めた姿勢に新田さんは潔さを感じた。

だから、その後もタウンボックスは故障を起こしたが、その都度、姫路三菱自動車販売に修理を依頼してきている。
ザッと挙げてみても、コイルのパンクによるエンジンストール、アイドリング不整などで納車から1年半の間は、ほぼ毎月修理に出していた。

自分で自分に代車

最近では、走行30万kmを越えた辺りで、エンジンのクランクプーリー内のダンパーが破損し、エンジンが停止してしまった。
その他にも、4輪駆動のためのドライブシャフトのスプラインがなくなってしまったり、スピードメーターのセンサー系統が故障してタコメーター以外動かなくなってしまったこともある。
中でも、大変だったのがターボチャージャーのタービンブレードが破損し、破片が噛み込んで過給が行われなくなってしまったことだ。ちょうど10万kmを走った頃のことだった。

「その前に、このクルマを乗り続けるために予備のエンジンを入手していまして、それからタービンを移植しました」

新田さんはサラッと言うが、必要に迫られているわけでもない予備のエンジンを入手していたというのは尋常ではない。その修理も自分で行ったというから驚きだ。
もっと驚いてしまうのは、走行距離が32万kmあたりで4気筒すべての気筒圧縮が落ちてしまい手持ちのエンジンをオーバーホールしている間に奥さんが乗るクルマがなくなってしまうので、同じタウンボックスM2のシルバーの2011年型を購入したことだ。

「自分で自分に代車を出したようなものですね。ハハハハハハッ」

だから、新田家には同じ4桁ナンバーのタウンボックスが2台ある。

「できるだけ長く乗り続けたいと思っていましたし、自分でできる修理はなるべく自分で行うようにしていますから」

腕前はプロと変わらないが、リフトや特殊工具を必要とするような整備はディーラーに任せている。ディーラーでもその点はよくわかっていて、意思の疎通が取れている。

「経年劣化でゴム製の部品からノイズが出ることがありますが、良く走ってくれています」

ただ、ブレーキからのジャダー(振動)を完治することはできなくて、ディーラーのメカニックや知り合いのパーツメーカーの人などと知恵を出し合いながら取り組み続けている。

完全な機械とは?

他にも、たくさん自分で直してきたところがある。できる限り自分で直して乗るという姿勢も当初から変わらない。
聞けば聞くほど、トラブルの話が出てくる。僕だったら、途中で乗り換えてしまおうと思ったに違いない。なぜ、新田さんはそう考えなかったのだろうか?

「“完全な機械というのは存在しない”という信条を持っていますので」

即答だった。豊かな経験にもとづく深い認識がなければ、すぐに出てくるフレーズではない。クルマというのは手を入れながら乗り続けるものだという考えだ。
タウンボックスに乗せてもらって、あれこれと質問していると、奥さんのことが実にたくさん答えに含まれていた。奥さんが主に乗ってきたから当然なのだが、誰かのために手を動かすことを厭わない人なのだろう。奥さんの好きなキャラクター柄の生地を買って来て新田さんがシートカバーを縫ったり、そのキャラクターのグッズで飾り立ててあるのも、奥さんのリクエストに応えたからだ。
誰かというのは奥さんだけのことではなくて、家族みんなのことであり、地域の人々のことだったりする。タウンボックスに関することだけでなく、料理も得意なので家族の誕生日やクリスマスなどにはケーキを焼いたりもしている。それを実に楽しそうに語るところが、また新田さんらしい。

新田さんはエンジニアとして化学会社に勤務しながらの兼業農家の一員だ。休日はレースのオフィシャルとしてサーキットに出掛けることが多いのに、農作業や植木の剪定なども行っている。それだけでなく、地域の小学校で昔の子供の遊びを児童たちに教えたり、行事を撮影したりして積極的に関わっている。聞いているだけで眼が回るほどの忙しさだ。タウンボックスの向こうには、つねに誰かのために手を動かしている新田さんの姿を想像することができた。

「このままずっと乗り続けて、孫ができて孫をこのクルマで遊びに連れて行けるようになるまで乗り続けられたら幸せですね」

とてもうれしそうに話す新田さんだった。子供の成長は、乗り続ける理由にもなるのである。

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