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2019.03.25

大阪府

40年の時を超えて

伯川秀紀さんと
三菱ミラージュ1200GL(1978年型)

040YEARS

0148,999KM

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

新車から乗り続けている!

まったくの偶然から、初代の三菱ミラージュが一台、大阪で乗られていることがわかった。
久しぶりに開いたSNSのタイムラインの一番先頭の投稿に、赤いミラージュの画像がアップされていたのだ。
自分とつながりのある投稿主ではなかったが、不躾は承知の上で持ち主を紹介してもらえないかとダイレクトメッセージを送ったら、すぐに丁寧な文面で返信があった。投稿主は、大阪の「シグマスピードショップ」という三菱車の部品と用品のショップ。
返信によると、ある日、赤いミラージュで店を訪れた持ち主はいくつか問い合わせをし、すぐに帰ってしまったので連絡先はわからないとのことだった。

「次にいらっしゃった時には、カネコさんのことを伝えて、連絡先を聞いておきます」

残念だったが、連絡を待つことにした。
うれしいことに数日後に連絡先を記したメールが来た。お礼を返信し、さっそく持ち主に電話を掛けた。
持ち主は、大阪府在住の介護福祉士、伯川秀紀さん。その赤い初代ミラージュは、なんと伯川さんが新車から40年間ずっと乗り続けているものだった。
初代ミラージュを見掛けなくなって、もうずいぶん経つ。博物館やイベントなどで対面することもあまりない。
それまでの三菱車のマジメで実直というイメージを超えた斬新なスタイルと、画期的なメカニズムや優れたパッケージングが施された初代ミラージュは発売当初から大いにヒットした。
当時、筆者の知り合いで購入した人が何人もいた。40年も昔のことだけれども、2ドア版も4ドア版もたくさん街を走っていた。それを伯川さんは今でも乗り続けているというから、とても驚いた。この連載を続けていて、そんな人に出会えることになろうとは夢にも思っていなかった。
すぐにでも会いに行きたい。

「1分でも早く見てもらいたいです」

伯川さんからのショートメールにもうれしい一文があった。

スーパーシフトで加速

さっそく大阪に向かった。
待ち合わせ場所の駅の前に、ミラージュは停まっていた。

伯川さんは茶色の細畝コーデュロイのスリーピーススーツにウイングカラーのクレリックシャツを合わせ、エンジのレジメンタルストライプのネクタイを締めている。なんて、お洒落でちゃんとしている人なのだろう。

助手席には、妻の亜弥美さんが乗っている。わざわざご夫妻で取材に応じていただけた。
後席に乗せてもらい、場所を移動した。伯川さんに運転してもらいながら、ミラージュについて教えてもらった。
車内を眺めると、前後シートやドア内張り、ダッシュボードなど、すべてが鶯色というのだろうか、淡い緑色をしているのに眼を奪われた。昔のクルマは、色を楽しんでいる。

シフトレバーの右横に、レバーがもう一本生えている。当時話題となった「スーパーシフト」だ。もう一本のレバーで、通常の4速マニュアルシフトの他に変速レンジを切り替えることができる。
レバーの先端のグリップを前方に倒すと「POWER」、後方に引くと「ECONOMY」が選ばれる。つまり、1速から4速までの各ギアを低めのギア比を持つPOWERで走るか、高めのギア比を持つECONOMYで走るか、ふた通りに使えるのだ。
伯川さんは、どのように使っているのだろうか?

「ふだんの街中と高速道路ではエコノミーで、山道のような勾配が急なところではパワーに切り替えて使っています。でも、街中でも、キビキビ走りたい時はこうして変えることもありますよ」

ちょうど、片側2車線の道を走っていて、前方が空いた。伯川さんは、そう言いながら3速はそのままにクラッチを切ってスーパーシフトのレバーを前方に送り込んだ。3速エコノミーから3速パワーに変えたのだ。3速から2速にシフトダウンするよりは穏やかな、ちょうど“半段分”といった感じの加速だった。
シフトレバーが2本生えている台座の部分はやつれが著しい。何か他の素材が塗られるなり、貼られていたように見えるが、それが剥げてしまって地肌が剥き出しになっている。スーパーシフトの機能は問題ないが、外観の経年変化が著しいのは残念だ。

同じように、ダッシュボードの左端の“MIRAGE”とある辺りも上と下にはがれ、大きな隙間を作ってしまっている。

太陽の塔

「このクルマは最初は黄色だったんですよ」

ボディを黄色から、この赤に塗り直したのだ。

「いいえ、黄色から黒に塗り直し、黒で何年も乗ってからこの赤に塗り替えたんです」

40年以上も乗り続けられているのだから、2回塗り直してもおかしくはない。それにしても、黄と黒と赤とはなんて極端な変えようなのだろう。伺うと、次のような顛末だった。
購入して15年を過ぎるとボディのエッジ部分の塗装が褪せてきたので、塗装をやり直すことにした。特に理由がなければ、元の黄色に塗り直しただろう。

たしか、初代ミラージュは宣伝やカタログなどで用いられていたのは、この鮮やかな黄色だったように憶えている。

「でも、娘が“黄色は目立つから”と嫌がったものですから、黒ならば一番目立たないだろうと黒にしたんです」

そして、赤に塗り替えたのは2年前。錆を取り除くための板金や天井の張り替え、シート生地のモケットからビニール素材への張り替え、ハンドルの革の巻き直し、ホーンのスイッチの移設など多岐に渡る修理と修復を施した。

「それまで気になっていたところを一気に行うことにしました」

しばらく走って、広い駐車場に乗り入れた。高速道路とモノレールを挟んだ向こう側に、1970年の万国博覧会の時に建てられた『太陽の塔』がそびえている。
今度は、ミラージュを停めて、よく見せてもらった。
少し離れてみると、ミラージュはバランスが取れた、とてもきれいなカタチをしていることがわかる。とても40年以上も前の造形とは思えないほど、レベルが高い。

特に、キャラクターラインが刻まれていないボディサイドはシンプルで、すっきりとしている。それでいて、素っ気なく、間が抜けて見えないのは各部分のバランスが絶妙に取られているからだ。簡単そうに見えるが、吟味に吟味が重ねられて生み出された造形だ。以前からミラージュの造形は高く評価してきたつもりだったけれども、久しぶりに対面して改めてその魅力に触れられた。

「私も、このスタイルの良さと中の広さが気に入ってミラージュを買ったんです。いま見てもハイカラなかたちをしている。自分の眼力があったんですね。ハハハハハハッ」

40年前、各社のコンパクトカーをひと通りディーラーで試乗した中からミラージュに決めた。伯川さんはインテリア関連の会社に勤めていて、初めての自分のクルマだった。

「貯金なんてなかったから、毎月1万5000円ぐらいづつ支払っていく、とても長いローンでした」

代金は80数万円だった。

ディーラーでもらった当時のカタログも見せてもらった。ところどころ色褪せ、破けてしまったところをテープで補修してある。そのテープも変色している。これもまた、大切に乗り続けてきた証しだ。

クルマを買おうと思ったのは、近くの医院が移転したことだった。

「子供が具合悪くなった時のことを考えて、クルマを持たなければと購入を決めたのです」

なんて優しい、家族思いの父親なのだろうか。

丈夫なクルマですね

ボンネットを開けてもらうと、黄色と黒だった頃の塗装が残っている部分があり、2回の塗り替えの痕跡が残っていた。

「ボンネットは、鉄板が2枚重ねになっているところから錆びていくんですね。こことここは取り去って、ペンキを塗ってあります」

ボンネットの表側に錆びが出たところは処置後に、ハトメの金具を止めてある。

フロントグリルのスリーダイヤモンドのマークが妙に新しく見える。

「これは私が作ったんです。ハハハハハハッ」

本当は、ミラージュの頭文字でもある“M”をかたどったエンブレムが付く。

「シグマスピードショップには、そのエンブレムを買いに行ったんですよ」

他にも探し物がある。フロントバンパーや左側のドアミラーを探している。
バンパーは公園の駐車場で当て逃げされてステーのプラスチックパーツが割れて、少し斜めになってしまっている。ドアミラーも、いま付いているオリジナルに似たものからオリジナルそのものに付け替えたいと思っている。
40年間に整備や車検を依頼する工場はたくさん代わった。それぞれ複数の、三菱自動車のディーラーとなんでも扱う工場に出してきた。

「移転してしまったり、商売を辞めてしまったところもありました。とても良いところでも遠過ぎて通うのを諦めたところもありました」

伯川さんが自分で行なうのはワックス掛けや錆び取りくらいだから、修理や整備は全面的に工場に任せることになる。

「メカには弱いんでね」

いろいろな工場にミラージュを出してきたが、中でもとても良く面倒を見てくれたのが三菱自動車ロジテクノの茨木工場だった。

「そこの高木研治さんが、とても良くやってくれました。高木さんはミラージュの恩人です」

その工場は移転してしまったので依頼することはできず、その後に高木さんも退職してしまった。それでも、困っていることを個人的に連絡したら紹介してくれたのがシグマスピードショップだった。
2年前の大修理を行ったのが、近くの『ジャンクヤード』という工場だ。バンパーは図面さえ手に入れば、そこから造ると言ってくれている。ここは、茨木ヴィンテージカーショーを主催していて、それにミラージュで参加したことから修理や整備を依頼するようになった。ショーには、もう5回参加している。

「あそこに行くと、戦前のスゴいクルマもたくさん出ているから、それに較べたらミラージュなんて、まだ赤ん坊みたいなものです」

出先で動かなくなってしまうようなトラブルは2回しかない。

「丈夫なクルマですね」

そのうち一回は、習っている空手の道場の駐車場でのガソリン漏れだった。

「道場では地域の子供たちも一緒に習っていて、発表会では板を割って見せたりします。子供たちが割った後に、私も同じようにやったのですが、これが割れなかったのですよ。会場は、大爆笑でしたね」

伯川さんは、飾らず正直で愉快な人だ。いわゆるカーマニアに属するタイプではない。40年にしては走行距離も短い。それでも、買い替えたり、乗るのを止めることは考えなかったというのだ。

「何回か諦め掛けたこともあったよね」

亜弥美さんも、伯川さんが苦心しながら維持していることを側で見て知っている。

「最初は、“買い替えたらどう?”と提案してみたのですが、彼がミラージュを運転している時は楽しそうやし、眼の輝きが違うから、私も好きになってきました。乗り続けて欲しいですね」

亜弥美さんの理解も得られて、ミラージュは伯川さん夫妻にとって欠かせないものとなっている。

「この頃、高速道路の登り坂でエンジンがノッキングするようになったんです。修理がてら、ついでにチューニングしようか考えています」

手入れしなければならないところもあるけれども、旅行などにも頻繁に出かけているようで、夫婦で楽しみながら乗っている。初代ミラージュに乗せてもらい、愉快な夫妻といろいろな話ができた大阪訪問だった。40年の時を超えた初代ミラージュの輝きが脳裏に焼き付いている。

伯川さんご提供

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