2019.02.19
東京都

“応援団”が支えてくれている
酒井紀行さんと
三菱コルトギャラン16L-GL(1973年型)
045
0129,000
※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。
文政7年創業

東京・港区の麻布十番商店街には江戸時代から続くような老舗がたくさん店を構えている。
創業が文政7年(1825年)という「酒井瀬戸物店」もそのひとつだ。ここの6代目である酒井紀行さん(55歳)が三菱コルトギャラン16L-GLに45年12万9000km乗っている。
正確には、酒井さんの父である秀雄さん(5代目)が新車で購入したのを引き継いだ。
「納車されてきた時の様子を、今でもハッキリと憶えていますよ」
酒井少年は9歳の小学生だった。
「その頃は、熱海で開かれていた瀬戸物の見本市に年に3、4回このギャランで買い付けに行っていました。オヤジに乗せてもらって、手伝いがてら熱海まで出掛けるのが楽しみでね」
そうした買い付けや納品、配達などに、店が休みの日にはファミリーカーとして家族とともにあった。
やがて、酒井さんも18歳になり、運転免許を取得してコルトギャランを運転するようになった。6代目として家業を切り盛りするようにもなり、自身の家庭も持った。
以前から取り掛かっていたレストアがようやく完了したというので、さっそく見せてもらいに行ってきた。
「カネコさん、ちょっと、ドライブに行きましょうか?」
酒井さんのお気に入りのドライブコースに連れて行ってくれるというのである。
麻布十番から幹線通りを何本か越えながら南へ向かった。途中、線路をくぐる一方通行の道を通った。東京のドライバーにはよく知られた抜け道で、タクシーが頻繁に利用している。
「ここも、山手線の高輪ゲートウェイ駅が新設されることで、もう通れなくなるそうですね」
東京も、どんどん姿を変えていっている。生まれも育ちも麻布十番、生粋の江戸っ子である酒井さんはそれをヒシヒシと感じている。
「しばらく通らなかった道の両側に真新しい建物ができていたり、なかった道が通っていたり、どんどん変わってきていますね」
マフラーをあつらえた
コルトギャランは46年目に入ったが、快調そのものだ。助手席に乗せてもらっていても、それが伝わってくる。エンジンも快調だ。
「2年前にマフラーを新調したのですが、サビて穴がいくつも空いて、ビビり音などのノイズに悩まされていました」
マフラーからの水漏れも収まらず、そのままだと車検も通りそうになかった。
「あの時は、もうほとんど乗り続けるのを諦めていました」
しかし、関東三菱自動車販売株式会社高井戸店で、この通り完璧に直してもらった。

マフラーはパーツとして在庫がなく、同店の串田晃和さんが八方手を尽くしてくれたが、どこにもなかった。それでも串田さんは諦めず、埼玉県に同素材を使って同寸法であつらえてくれる金属加工業者を見付け、製作の依頼までしてきてくれた。

ブレーキのマスターバック内部の油圧ピストンが壊れた時も、串田さんは他車のマスターバックにもコルトギャラン用と同じものが使われていることを突き止め、それを探し出して組み込んでくれた。

「串田さんから、“コルトギャランの中でもGLは珍しいのだから大切に乗り続けて下さい”って言われているんですよ。その心意気にほだされたのかもしれませんね。とても感謝しています」
道が空いていたので、京浜島にはすぐに着いた。
「休日には、コルトギャランでよくここまでドライブして来ています」
工場や倉庫などが並ぶ先はもう海に面していて、羽田空港が目と鼻の先だ。
「自販機で缶コーヒーを買って、一服して。私の息抜きですよ」
たしかに、東京の真ん真ん中なのに、海と空港が眼の前だから不思議な非日常感がある。土曜日だから、クルマもほとんど走っていない。

車両価格は71万円だった
「今回は、ここをやってもらったんですよ」
駐車スペースにコルトギャランを停めて、レストアした箇所を説明してもらった。
マナスルグリーンという淡い緑色のボディの右側前後フェンダー、ドア、それからボディ内側の板金塗装を行なった。エンジンルームを開けて、フェンダーとエンジンルームの塗装の違いが一目瞭然だけれども、クルマ一台として見ると不自然なようには見えない。さすがはプロの仕事だ。
「ここまでやったから、時間が掛かっちゃったんですよ」
酒井さんが取り出して見せてくれたのは板金塗装中のプリント写真だ。工場で作業の進捗状況を記録し、のちに報告するために撮られたものだ。
それにしても、なぜ、ボディの右側だけ板金塗装したのだろうか。ついでに左側も行えば良かったのではないか?

「右側の方が左側よりも傷み方がヒドかったんですよ。車庫の左側には屋根があるので、それで覆われている左側は雨によるサビも右側よりは少ないんです」
そんなことがあるものなのか。たしかに、作業前に撮られたカットには右側フェンダーやドアなどのサビている様子が写っているのが確認できる。
「だから、今回は右側だけにとどめて、左側とボンネット、屋根、トランクなどは次の課題にしたんです」
それも串田さんと相談の上で決めたことだというから、間違いのない選択なのだろう。

写真と一緒に、書類も見せてもらった。注文書までキレイに保存されていた。車両価格が71万円である。エンジンは始動できてもトランクは開けられない、バレーパーキング用キーも失くしていない。
コルトギャランのあちこちに、MitsubishiやGalant、GALANT16Lなど酒井さんお手製のテープが貼られてある。自分のものとして慈しみながら乗っている感じが表れている。

「リアサスペンションのリーフスプリングのところに付くブッシュもずっと手に入らなかったんですよ。でも、クラブの仲間から融通してもらって交換できました。おかげで、キコキコいう音もなくなりました」
三菱車両のお得意さん
酒井さんは、「ルーツ・オブ・ギャラン」というオーナーズクラブに入っている。加入のキッカケは、店のお得意さんだった。
「いつも、ギャランFTOをウチの前に停め、買ってくれる方でした。その方からクラブを紹介されたのです」
その人は、以前にコルトギャランも持っていて、それで麻布十番商店街によく買い物に来ていた。
「“ウチと同じクルマをいつもピカピカにして乗っているなあ”と子供心に感心しながら眺めていたのも憶えています」
クラブを紹介してもらっただけでなく、コルトギャランの縁から家族ぐるみの付き合いも始まった。
「クラブのみんなにも助けてもらっています。困っている部品を誰かに言っておくと、私の知らない間に他のメンバーにも伝わっていて、それを憶えておいてくれた誰かが代わりに手に入れてくれるんですね。いつもそうですよ。もう、それじゃ、どっちがオーナーなんだかわからないですよね。ハハハハハハッ」
コルトギャランにまつわる、特にレストアや維持に関する酒井さんの話には必ず誰か他の人が出て来る。
「そうですよ。このクルマは私ひとりで維持できているわけなんかじゃないんです。多くの“応援団”がいて、みんなチカラになってくれているんですよ」
“応援団”という表現が、じつに酒井さんらしい。
「“ギャランのためなら、酒井のためなら”って、見えないチカラが働いて、部品を融通してくれたり、知恵を授かったり。一度は諦め掛けましたけれども、今となってはギャランも幸せですよ」
その後、見本市の開催会場は都内に移ったので、頻繁に熱海に行くことはなくなってしまった。また、人々の生活様式の洋風化によって、瀬戸物の需要が減り、酒井瀬戸物店の商売の規模も昔ほどでなくなってしまったことも酒井さんは素直に認めている。

「時代の変化には逆らえませんね」
しかし、コルトギャランを運転することが大好きであることに変わりはない。子供たちも成長したから一緒に出掛けることも減ったけれども、ほぼ毎週末、他に用事がなければ酒井さんはこうして京浜島までのドライブを楽しんでいる。
「こうやって乗り続けることが、支えてくれるみんなへの恩返しになると思っています」
200年近くになる店の歴史も並外れているけれども、2世代にわたる45年12万9000kmもまた驚異的だ。しかし、話を聞けば聞くほど、多くの人たちに支えられながら今まで走ってきたことがわかる。コルトギャランもまた老舗の一部となってしまったようなものだ。京浜島からの帰り道、そんな思いがしてきた。
