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2025.10.23

長崎県

オフロードを走れて、ボディが大きすぎない

田頭健二さんと三菱パジェロ メタルトップXL 2500ディーゼルターボ(1988年型)

037YEARS

0298,000KM

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

ジープというパイオニア

三菱パジェロが初めて発表された時のことは鮮明に憶えている。長年にわたってジープを造り続けてきた三菱自動車が、その経験と技術を活かして新たに一般的なドライバー向きに送り出したオフロード4輪駆動車がパジェロだった。1982年のことだ。
それまでのジープは自衛隊や営林署(現:林野庁森林管理局)などの専門的な業務のために生産されたクルマだった。パジェロは乗用のセダンやクーペなどから乗り換えても違和感がないように快適性を高めて乗りやすくされ、ボディバリエーションやパワートレインなども豊富に揃えられていた。
キャンプやスキーなど戸外の余暇を楽しむ人々も増え、人気を呼んで大ヒットを記録した。パジェロは、そうした新しい時代の到来を体現するかのように輝いていた。僕の友人知人親戚なども競うようにパジェロを買って山や海に出かけていた。

同種のクルマが増えて「RV」と分類されるようになり、その後に「SUV」と呼ばれるようになって現在に続いている。
今となっては信じられないかもしれないが、RVの前はオフロード4輪駆動車はまとめて「ジープ」と呼ばれることが珍しくなかった。三菱自動車製ではないオフロード4輪駆動車であっても「○○のジープ」で通っていた。「ジープ」という存在と呼び名がジャンルを代表していたのだ。
初代パジェロ メタルトップXL 2500ディーゼルターボ(以下パジェロ)に新車から37年29万8000km乗り続けている長崎県在住の田頭健二さんも、パジェロの前はジープに乗っていた。
「小学校に上がる前に父が仕事でジープに乗っている姿を見て、子供心にも“カッコいいな”と憧れていました」

父親は重機を扱う会社に勤めていたので、ジープで山中の現場などとオフィスを往復していた。田頭さんは助手席に乗せてもらったりしていた。
「“いつかは自分でも乗りたい”と思い続けていました」
就職して、自分のクルマとして「K-J54」型のジープの中古車を購入。新車が180万円していて、その1980年型ジープは135万円だった。
通勤の他、中学生から続けていた天体観測のために望遠鏡やカメラなどを載せて、休日には山の奥まで通っていた。
結婚を前にして、パジェロに買い替えた。総額約220万円。ジープはオープンボディで小さいから、家庭用にはパジェロの方がふさわしいと考えたからだった。ジープは会社を辞めて自動車修理工場を開業した父親に譲った。
田頭さんのパジェロは、貨物の4ナンバーで登録されるバン、メタルトップのショートボディ、ディーゼルエンジン、5段MTが組み合わされたものだ。他に5ナンバーの乗用のワゴンやロングボディ、キャンバストップ、ガソリンエンジン、4段ATなどが組み合わされて多くのモデルが存在していた。
「荷物の積み下ろしやすさを考えて、4ナンバーを選びました」
ご自宅のガレージで田頭さんの黒いパジェロを前にして、こちらまで懐かしい気持ちになった。今でも3代目までは街で見かけるし、2代目も眼にすることがある。でも、初代にはほとんど出会うことがなくなっているからだ。
今から見れば小さなボディは、4面のガラスや各部のボディパネルなどがほとんどフラットに見える。PAJEROやスリーダイヤなどのエンブレムは健在だが、MMCは取れてしまったのでカッティングシートと塗料で修復してある。ボディ全体に細かな傷や擦れ、錆などがあるが、長く乗り続けた勲章のようなものだろう。

「2年間の単身赴任中にほとんど動かさなかったので、その間に一気にボディの劣化が進んだようですね」
2018年から19年の2年間だ。運転席側のドアを開けると、三角窓が付いていた。エアコンが当たり前の現代では、これが何のための装備なのか分からない人が現れても不思議ではない。
田頭さんは節約して契約時の総額を下げるために注文時にはエアコンを付けなかった。納車後に改めて馴染みの電装業者に依頼して取り付けた。クルマにエアコンを装着することは、昔は必ずしも当然のことではなかったのだ。
ドアの内側にある窓ガラスの手動レギュレーターハンドルからも時代を感じさせられた。これも最近のクルマではお目にかかれない。
運転席はシートの表皮が綻びて中のスポンジなどが見えてしまっている。もちろん、田頭さんは交換のためのもう一脚を入手済みだ。
僕が注視してしまったのは、綻びではなくて座面と床の間だった。初代パジェロの運転席には独自にシート用サスペンションが装備されていたことを思い出したからだ。スキーやレース観戦のためにパジェロを2台乗り継いだ友人から、その効能の大きさを教えてもらったことを思い出した。

身体全体で運転

助手席に座って、海に向かった。
「3連メーターはカーナビやETCなどを取り付けるために外しました」
それも思い出した。半球形にした小型メーターが3つ並んで、各種のデータを表示していた。そのうちの一つは、たしか傾斜計ではなかったか。オフロード4輪駆動車らしいなと思っていた。

現代のクリーンディーゼルとは違って、このパジェロはガラガラガラッと勇ましい音をたてて回転する。ビートもシートから伝わってくる。加減速やコーナリングに伴って、ボディが前後左右に大きく揺れるところからも時代を感じさせられる。
しかし、それらが不快に感じられてこないのは、現代のクルマよりも遥か前に造られたクルマだからだろう。不満に思うよりも、SUVにつながる歴史を作ってきたクルマに対するリスペクトが勝っているからだ。
「ジープに乗っていたので、このクルマの乗り心地を不満に感じたことはありません」
田頭さんは5段MTを駆使しながらパジェロを走らせていく。MTを駆使するドライバーの助手席に座ったのも久しぶりだ。住宅街の細い路地を何度か曲がり、大通りに出ていく。普段からそういう運転なのだろう、とても丁寧な上にメリハリが効いた運転だ。
パジェロの姿勢変化が大きなことに合わせながら、身体全体を使って運転している。身体の動きとパジェロの挙動が一体となっている。
さまざまな自動制御システムによってドライバーの操作が軽減された現代のクルマとは違って、昔のクルマはドライバーが担わなければならないことが多かったのだ。

ディーラーには、とても満足している

海の近くの静かな公園の駐車場にパジェロを停めた。
犬を散歩させていた初老の男性が微笑みながら立ち止まって眺めている。
「懐かしいですね。同じものを友人が乗っていました」
37年間で29万8000kmも走られているのですよ、と伝えると大きく頷いていた。

今まで、出先で故障して戻れなくなるような深刻なトラブルには見舞われていないというから驚かされてしまう。
「大掛かりな修理は、やはり20万kmを越えた辺りから連続して起きてきました」
記録を見せてもらった。それによると、ラジエータ冷却水漏れ修理(20万km)、パワーステアリングポンプをリビルド品に交換(20万km)、タイミングベルト、ウオーターポンプ交換(20万km)、フロントディスクブレーキ面研削(26万km)、燃料噴射ポンプをリビルド品に交換(26万km)、飛石により破損したフロントガラスを新品に交換(28万km)、タイミングベルト、ウオーターポンプ交換(29万km)、クラッチディスク交換(29万km)。
若い頃は、ユーザー車検や重整備などにも取り組んでいました。実家の自動車整備工場を手伝いながら、整備に関する基礎的な知識や技術などを身につけていましたので」
田頭さん自身は会社勤めを続け、パジェロで通勤していた。遠いところだと、月に2000km走ることもあった。現在は月に200kmぐらい走っているが、年に5、6度、帰省する時には往復で約1000km走るので、整備を怠れない。
「次に問題が起こるとすれば、ミッション周りだと思われるので、負荷をかけない運転を心がけています」

整備や車検などは購入した長崎三菱自動車販売に依頼している。
「現在でも機能維持に必要な主要部品は、きちんと供給されています。ディーラーの対応には、とても満足しています」
入手が難しくなりかけているパジェロのパーツも、在庫がなければ他を探して間に合わせてくれたりすることが何度もあった。気に入った1台に長く乗り続けるのに、ディーラーの親身な対応ほど頼りになるものはない。
心配しているのは、樹脂製のパーツだ。電装品のコネクタなどが経年劣化によってヒビ割れたり、脆くなっている。他にも、劣化が進んでいるものもあるが、ディーラーと相談しながら対処している。
天体観測は続けていて、今でもパジェロで山の中まで走っていく。
「普通のクルマでは走れないオフロードも走れて、ボディサイズが大きすぎないことも乗り続けている理由のひとつになっています」
実家に置いてあるジープを復活させて乗ることも考えている。ジープはパジェロよりも全長が44センチも短いのだ。
「その時は、パジェロは車検を更新しないで保管することになると思います」
ジープがオフロード4輪駆動車のパイオニアとしてクラシックとなったように、パジェロもまた“SUVのクラシック”と呼ばれる時が来るのだろう。

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