2026.08.22
東京都
パジェロを継承するNPOをつくれたら
大島義之さんと三菱パジェロ ミッドルーフワゴン JX(1989年型)
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0184,000
※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。
スターキャンプの人気者
2026年5月29日から31日に静岡県朝霧高原の「ふもとっぱら」キャンプ場で開かれた「スターキャンプ2026 in 朝霧高原」には3日間で約600台もの三菱のクルマが集まった。
最も多かったのがデリカD:5。次がアウトランダーであることは広い会場でも一目瞭然だった。キャンプに好適な車内空間とオフロード走破性能を備えているからだろう。軽自動車のデリカミニも少なくない。
しかし、なんといっても抜群の存在感を示していたのが歴代のパジェロたちだった。会場のあちこちに駐まってテントを張っていた。運営スタッフに訊ねると、30台以上の参加予定がある。国内で新車が販売されなくなって7年も経つのに、パジェロのことを忘れている人なんて一人もいないようだ。会場のパジェロに注がれる視線の熱さが他のクルマとは明らかに違っていた。
それぞれのパジェロのかたわらにいたオーナーさんたちとは立ち話をさせてもらった。スターキャンプでは、会場内外でさまざまなイベントが行われたり、協賛企業のテントが設営されて各種のデモンストレーションが行われたりしている。浴場やレストランなども完備しているから、いつも必ず参加車のそばにオーナーさんがいるとは限らない。
でも、赤い初代パジェロとそのオーナーさんらしき男性は、いつも誰かとパジェロを囲んで楽しそうに談笑していた。パジェロも他とは違うオーラを放っていた。前席ドアの下には“MONTERO”とパジェロのスペイン語圏での車名を表すステッカーが貼られていたり、前後のバンパーも明らかに標準装着されていたものと違う。車内には頑丈そうなロールケージまで組み付けられている。細かな傷や塗装の傷みなども、むしろ勲章のように誇らしげにさえ見えてくる。パジェロへの愛情が相当に強いことを体現しているようだ。
そんなパジェロのオーナーさんなので、ぜひ話しかけたかったがお仲間さんたちとの楽しみの場を邪魔するわけにはいかない。ようやく何度目かに前を通った時に、男性と眼が合った。
眼で挨拶を返すと、話しかけてくれた。
自己紹介すると、顔をほころばせてにっこりと笑った。
「“三菱10年10万kmストーリー”は、いつも読んでいますよ。知り合いが何人も記事になっています」
それならば話は早い。ぜひ、こちらのパジェロについて取材させてもらえないだろうか?
「やっぱり、そうでしたか!? ハハハハハハッ」
愉快な人だ。
連絡先を交換して、後日あらためて伺うことになった。
Tシャツと短パンで
取材の前日に、丁寧なメールをもらった。
「私は通常エアコンを使わないのですが、本日久しぶりに動かしたところ、エアコンの効きがいまいちな気がしました。三角窓が心地よい風を運んでくれるとは思いますが、念のため、着替えがあると良いかもしれません。ぜひともラフな格好でお願いいたします」
夏真っ盛りだったので、最初から汗だくになることは覚悟していた。三角窓からの風に当たるのも現代では貴重な経験だ。アドバイスに従って、当日はTシャツに短パンで向かった。その方が、あのパジェロに合っている。
大島義之さんの自宅には、もう一台のパジェロが駐められていた。その白いパジェロは、フロントグリルや丸型2灯ヘッドライトなどは赤いパジェロと近い世代を感じさせる造形だ。でも、横から覗き込むと見たこともないパジェロだった。
ソフトトップのショートボディは珍しくはなかったけれども、このパジェロにはその面影がまったくない。2ドアだが、ドア自体がとても低く、上半分が斜めに切り取られたような形状をしている。車室と荷室の境目もない。2脚のバケットシートの間から手を伸ばせば、荷室に届いてしまう。何かの競技に出場するために造られたように見える。
大島さんによれば、正式名称は「CANVASTOP SUPER SPORTS V6 3000 」で、それをブリスターフェンダー化したものだそうだ。
「他にもパジェロを持っていて、私のもとには合計6台あります」
パジェロを6台も!
今まで、この連載で何人ものパジェロオーナーを取材してきたけれども、一人で6台も持っている人なんて聞いたことがない。いったい、どんな人なのだろう。
「他にナンバーが付いていませんが動くものが2台。部品取り用が2台あります」
赤いパジェロに乗せてもらって、走り出した。助手席に乗り込むためには、ドアを開けて、まずボディ開口部下の幅10センチほどのステップに左足を乗せなければならない。これがちょっと怖かった。ステップの幅が狭いので、縦向きに左足を乗せられたとしても心許ない。濡れてでもいて滑らせたら、ドア開口部かステップに腰や背中を強打して、タダでは済まないだろう。慣れれば気にならないのかもしれないが、慎重にならざるを得なかった。
それだけでなく、左足でステップに立ったと同時に、今度は右脚を持ち上げて、開口部とバケットシートの間を前後方向に走っている太いロールケージをまたぎながら、車内に入ってバケットシートに収まる必要がある。右足と左足でバランスを取らなければならない。どこかにぶつけたり、引っ掛けたり、躓かないようにするためには、アクロバティックな身のこなしが必要になってくる。ロールケージやバケットシートなどを必要とする競技に出場したわけではないという。
助手席に座って、走り始めた。シフトノブに流用した何かの工具のオレンジ色の柄を握りながら、大島さんはパジェロを小気味良く加速させていく。初代パジェロに乗るのは久しぶりのことだった。ボディの左右の端が良く見えて、運転しやすそうだ。暑さはあるが、開けた窓と三角窓から入ってくる風が心地よい。
「パジェロは運転しやすいですよ」
大型化している現代のクルマと較べると、初代パジェロは頃合いのサイズに見えてくる。自分のものだけでなく、仲間たちのさまざまなパジェロとも接している大島さんにとっては最も強く感じ入っていることなのだろう。
住宅地を抜けて幹線道路に入り、郊外に向かった。若い頃に良く走りに通っていたという峠を越えて、その先の学生時代からの友人が経営する養鶏場を往復する。スピード好きで週末に峠を走ったり、友人のレーシングチームを手伝って富士スピードウェイに20年間通っていたりしていた。今日はパジェロで湖沿いを走り抜け、峠を越えながら当時の思い出を聞かせてくれた。
家族全員パジェロ
大島さんは会社勤めをしていて、パジェロは仕事では使っていない。自分のクルマであって、家族や仲間たちを乗せて走っている。
この赤いパジェロに乗る前も、パジェロに乗っていた。それは父親が乗っていたものを走行10万km時点で引き継いだものだった。赤いパジェロは、友人が15万km乗ったのちに15万円で譲ってもらった。
2台目は1台目と同じ赤に塗り直し、パーツなども移植した。
「母がパジェロイオを乗り継いで、弟もパジェロに乗っていたことがあるので、家族4人で3台のパジェロと1台のイオに乗っていたこともありましたよ」
家族全員パジェロ!
2002年から、8年間も家族みんなでパジェロに乗っていた。
6台のパジェロを所有していることにもビックリさせられたが、家族4人でそれぞれパジェロに乗っていたことがあると聞いて二度驚かされた。
「父はL048GWの次にKD-V46WGに換え、その後にV45Wに乗り換えていきました。母がGF-H76W、弟はGF-H76WからY-V46Wに乗っていました」
大島さんが複数のパジェロについて僕に説明してくれようとすると、アルファベットと数字を組み合わせた型式名が連続して出てくる。“初代パジェロ”“2代目パジェロ”“パジェロイオ”という製品名ではないから、何度も聞き直して教えてもらってしまった。
パジェロを愛好している仲間たちとの間では、こちらの方が効率的で便利だから、文字通り符牒のように流通しているのだろう。これはパジェロに限ったことではなく、あらゆるクルマの愛好家たちの間で必ず起きる現象だ。
さらに、現在乗っているパジェロはこの15年間、自身でユーザー車検を取得しているというから、パジェロについてわからないことはないのだろう。実際、僕がパジェロのメカニズムなどについて質問しても、すべて即答だった。
即答だけでなく、より詳しい説明も付け加えてくれた。
「L048GWに42万km乗ったあと、今のL146GWに換えました。さきほど駐車場にあったのはL141Gスーパースポーツで、ショートオープンの6G72です。」
ただ長く乗り続けているだけではなく、整備やモディファイなども極力自分で行っているから、隅から隅まで通じている。事前に送ってくれたエクセルシートには、几帳面に記入された整備とメインテナンスの履歴が338項目もあった。
モディファイや機器の追加などもたくさん行われている。おそらく、僕は全部を確かめられなかっただろう。それだけ専門的で、数が多いからだ。養鶏場の敷地に駐めて、フードを開けてエンジンも見せてもらった。詳細はここに記さないが、さまざまなモディファイが施されている。すべて性能を維持して乗り続けるためのものだ。
テールゲートを開けて、8ナンバーで登録している理由も教えてもらった。祖母の介護のために車椅子を乗せられるようにしてある。パジェロは自身の楽しみのためだけではなく、家族のためのクルマでもあったのだ。
初代と2代目パジェロの新型車解説書や整備解説書などがたくさん積まれていた。手入れをしたり、パーツを入手する際に必要となる。
今のところ、エアコンの効き以外、不安点はない。次に寿命が来るのは燃料ポンプかもしれないが、パーツは確保済みだ。
「パーツの入手で困ることはありません。仲間たちと融通し合ったり、外国から手に入れたりしています」
クルマは縁をつなぐもの
スターキャンプで会った時も、大島さんはつねに仲間たちとあった。
「そうですね。乗り続けていて楽しく感じるのは、パジェロがいいクルマであることと同時に、人との付き合いですね」
直接に面識のある人たちだけでなく、SNSなどでつながっている人たちからもパジェロに関する相談を受けている。パーツの入手方法やメカニカルトラブルの解決方法などから始まり、乗り続けられなくなりそうな人や反対に入手を希望している人の相手探しなど、さまざまだ。きちんとした相談には、必ず応えて手助けするようにしている。
「私もずいぶんと人に助けられましたから」
パジェロを乗り続けるためのパーツや情報を集積し、次の世代に引き継げる永続的なNPO(非営利組織)のようなグループが作れないだろうかと大島さんは考えている。
「パジェロに乗ることを止める人からクルマとパーツは買い取り、それらを適正価格で販売して活動費にします。ノウハウと情報などは蓄積して誰でも閲覧できるよう共有するのです。乗り続けたい人のために活かす仕組みを作って運用できたらいいですね」
このアイデアには全面的に賛同する。利益を目的にするのではなく、パジェロ愛好家たちが次の世代へパジェロとその魅力を継承することができるからだ。上手く運営できるようだったら、パジェロイオやジュニア、なんならジープなどにも対象を広げたって構わないだろう。求められれば他メーカーのクルマの愛好家たちとノウハウを共有する意義だって出てくる。
「クルマは縁をつなぐものですからね」
都内へ戻る道中で、話は盛り上がった。車検は自ら行うようになったが、30年以上変わらず付き合っている三菱自動車東名町田店に向かった。
以前は大島さんのパジェロを整備してくれていた山田高広さんが出迎えてくれた。新型パジェロの前評判は高く、多くの問い合わせが寄せられているそうだ。
週末の来店客で賑わうショールームを辞去すると、雨が降ってきた。天気予報ではもっと早い時間を告げていたが、ここまで保ってくれた。強く降ってきたので助手席の窓を上げようとドアのスイッチを押したが、反応しない。良く見て押し直してみたが、ダメだった。大島さんに伝えると、ドライバー席側のスイッチを操作してみても上がらない。雨は、どんどん激しくなっていって、開いた窓から吹き込んでくる。僕の左半身はびしょ濡れだ。
「接触不良だと思われるので、カー用品販売店で復活剤を買って吹き付けてみましょう」
すぐに大きな店が現れて、駐車場にパジェロを駐めて、大島さんは急ぎ足で売り場に向かい、復活剤を買って戻ってきた。手際良く助手席ドアの内張りを剥がし、スイッチの接点部分にスプレーを吹き付けた。でも、窓ガラスは動かない。
運転席に回って、同じようにドア内張りを剥がし、スプレーを吹きかけてもダメだった。万事休す。それでも大島さんは諦めず、工具箱から大きなビニール袋を取り出すと、助手席ドアに被せた。じきに止むだろうし、駅までだって遠くはない。
走っているうちに空も明るくなり、雨も止んだ。コンビニで飲み物を買って休憩しながら、ビニール袋を取り外した。大島さんとパジェロに縁のある人と場所を巡る半日のドライブだった。パジェロに関する詳しさと熱意に圧倒されるばかりだった。雨には濡れたけれども、アドバイス通りにTシャツと短パンで来て良かった。むしろ気持ち良いぐらいだった。

