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2018.03

山口県

愛こそはすべて

青池大輔さんと
三菱エクリプスGSR-4(1990年型)

013YEARS

021,000KM

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

「エクリプス クロス」と「エクリプス」

すでにテレビコマーシャルやwebサイトなどで伝えられているように、三菱自動車は新型コンパクトSUV「エクリプス クロス」を2018年3月1日に発売した。
エクリプス クロスには、かつての三菱自動車の2ドアクーペ「エクリプス」の車名が含まれていることをちょっと懐かしく思った人もいることだろう。
初代エクリプスは1989年にアメリカで発売開始され、3代目は2006年まで日本でも販売されていた。アメリカでは4代目が2012年まで販売されていた。

今となっては貴重な初代エクリプスを何台も持っている人がいると紹介され、山口県を訪ねた。

空港で借りたレンタカーのカーナビが、「目的地に到着しました。案内を終了します」と告げ、最後の曲がり角を曲がった瞬間、眼の前に現れた光景が一瞬、信じられなかった。
真っ赤なエクリプスが道の端に停まっていたのである。でも、ナンバーが付いていないし、タイヤが土に埋もれ掛かっている。

おまけに、そのエクリプスのボディサイドには苔まで生している。スクラップなのだ。
その後ろで同じようにタイヤが土に埋もれ掛かっているのはギャランΛ(ラムダ)やスタリオンではないか!

12台ものエクリプス

ここが目的地で間違いないのだろう。それにしてもビックリだ。表に回ると、エクリプスのオーナー 青池大輔さん(48歳)が出てきてくれた。玄関には、ピカピカの真っ赤な初代と2代目エクリプスがミラージュとデリカD:5の隣に停められていた。

挨拶もそこそこにスクラップのことを質すと、「もっとありますよ」と案内してくれたのが、裏庭に停められた別のエクリプスやスタリオンだった。
ギャランΣ(シグマ)・ハードトップやミラージュ・サイボーグ、ランサーセレステまである。ギャランΛ(ラムダ)はもう一台あった。土に還り掛けているものもあったが、すべて青池さんのものなのである。こんなにたくさんの三菱のクルマ、それも珍しいものばかり持っている人がいるなんて!

驚くのは、まだ早かった。離れの建物の中には、エクリプスや他のクルマの部品がたくさんあったのだ。それも、部品ごとにキチンと整理整頓されている。モデルごと、部品ごとに仕分けされて箱に収められ、積み上げられた箱の側面を見れば中に何が入っているかわかるように内容が記されているから一目瞭然だ。それだけでなく、丁寧にビニールで包まれているものまである。

「空気に触れるとサビが進むのですよ」

こんな人は見たことがない。

「今まで私のところに来たエクリプスが12台あって、そのうち8台がいま手元にあります。4台分プラスアルファがこうして部品になりました」

部品は仲間に融通したい

青池さんは中古車業者でも部品商でもないのである。仕事は2級建築士で、エクリプスはあくまでも趣味、楽しみだ。エンジンをバラして修理したりしているが、中学生の頃の機械いじり遊び以来の独学でマスターした。

「インターネットオークションで部品を買ったりすることもありますけれど、買う一方ですね。ハハハハハハッ」

部品はあくまでも自分のクルマをレストアするためと、仲間に都合するだけに使われている。
「部品を自分だけで溜め込むのは嫌ですね。必要になるものはみんな一緒なので、仲間に融通したいですね」

ここにあるのは8台と言っていたが、5台の間違いではないのか?
「行きましょうか?」
残りの3台のエクリプスは少し離れた林の中に置いてあるのだという。

赤い初代のエクリプスGSR-4に乗せてもらって、林に向かった。1990年型で、2004年に購入した。メーターは10万8000kmあまりを刻んでいるが、自分で走った距離は2万1000km。

初代エクリプスに乗るのは久しぶりだ。左ハンドル車なので、右側ドアを開けて乗り込むとシートベルトがドアに沿ってスライドしてくる。
アンカーを引き出さなくても装着できるように考案された仕組みだ。懐かしい。

初代エクリプスには特別の思い出がある。
1989年にアメリカで発表されたばかりのエクリプスをロサンゼルスとその近郊で取材したことがあるのだ。

エクリプスは当時の三菱自動車工業とクライスラー社の合弁企業「ダイヤモンドスターモーターズ」で製造されていた。
アメリカ側の開発担当者にインタビューした後、エクリプスを借りて試乗しながらロサンゼルスのあちこちで撮影した。

スライドしてくるシートベルトを見て、あの時のロサンゼルスの数日間を思い出した。
運転した印象はとても良く、キビキビとした身のこなしと加速の滑らかさが鮮やかだった。メーター類がドライバーを取り囲むようなインテリアもカッコ良かった。エクリプスは間違いなく三菱自動車がそれまでに手掛けてこなかったようなクルマだ、と記事に書いたように憶えている。

愚直、地味、マジメ

青池さんも、エクリプスの登場には同じような想いを抱いていた。

「テレビのコマーシャルで初めてエクリプスを観た時は衝撃を受けました。日食の前をエクリプスがスタートダッシュしていく姿に、"自分が次に乗るクルマはこれしかない"と天啓を得たようでした」

やっぱり、そうなのか。
それほど、エクリプスの登場はセンセーショナルだったのだ。

「それまで、三菱のクルマ造りって"愚直"、"地味"、"マジメ"でしたよね。それがエクリプスや、そのちょっと前のスタリオンなどから変わってきたように見えたのです。"三菱も、ついに速くてカッコいいクルマを出してくれた"と」

青池さんは、中学2年生の時に父親が初代パジェロを購入して以来、三菱のクルマに魅せられ続けている。

「パジェロは本格的なクロカン4駆なのに、インテリアや走りは乗用車のようで、とても新しさを感じました」

まさしく、パジェロは今日の世界的なSUVブームの先駆け的なクルマだった。
その後、大学生になって初めてのクルマが4万円で買ったランサーEX。次が、38万円のランサーEXターボ。

その次のギャランΣ(シグマ)・ハードトップには夢中になって、6種類のエンジンすべてに乗り、2000年頃までに全部で8台乗った。同時に3台持っていたこともある。
8台のギャランΣ(シグマ)・ハードトップを直しては乗っていくうちに、部品をすべてバラバラにして、再び組み上げることができるようになった。レストア作業をほぼ完全にマスターできたのだ。

「若い頃の可処分所得のほとんどすべてはクルマの購入代金、部品代、保険や税金などに消えていました」

スキーに熱中したこともあり、デリカ・スペースギアを新車で購入し、2年半で7万kmも走った。総額470万円もしたのに加え、燃料代やタイヤ代もバカにならず、出費が嵩んで熱もすぐに覚めた。

俺がやらなきゃ誰がやるんだ!?

「ワンボックスワゴンへの反動からなのか、カッコ良くて速いクーペに食指が動いたのでしょう。68万円のエクリプスを買いました」

2.0リッターターボエンジンを搭載し、4輪を駆動する1990年型。

日食のテレビコマーシャルを見てから憧れ続けて来たエクリプスに遠回りしたかのようにして乗ることが叶った。そこから、現在まで続く青池さんとエクリプスとの日々が始まった。

「アメリカンテイストが感じられはしましたが、基本的には三菱のしっかりしたクルマ造りがなされていました。トランクが狭い以外はまったく不満点はありませんでした。速かったですよ」

持ち主になる前から閲覧していたインターネットのエクリプスの掲示板に「私も初めて買います。皆さんのお仲間になるのでよろしくお願いします」と記したら、面識のない人が書き込んで来た。

「"チェックした方が良い点がいくつかありますので、販売店に私も見に行きます"と一方的に書いてあって、とてもうれしかったです」

押し付けがましさもちょっと感じたと青池さんは笑いながらその頃を思い出したが、この人とは今でも交際が続いている。

「でも、そういうところが良いんですよ。古いクルマを引き継ぐってことは、人の気持ちを動かすんです」

続けて、インターネットオークションで10万円で競り落としたAT版を2号車として入手し、3号車は掲示板で知り合った仲間から譲られた。2001年には一気に3台に増えた。
その後、青池さんは次々とエクリプスを入手していった。眼に付いたもの、耳に入ったもの、もらってと頼まれたものはすべて引き受けてきた。

「最近のクルマは、故障が減ったのは良いことなのですが、その反面、ユーザーが自分で手入れしながら乗り続けていくことが省みられなくなったのは残念な傾向ですね」

青池さんは時代の変化に理解を示しつつも、好きになった三菱の、それも登録台数の多くない初代エクリプスやギャランΣ(シグマ)・ハードトップを直しながら乗り続けてきた。

「嘆いてばかりいても仕方ありません。でも、スクラップにされてしまうのだから、誰かが面倒を見なければなりません。"俺がやらなきゃ誰がやるんだ!?"という気持ちでしたよ」

それは、"愛"そのものではないだろうか。

「愛ですね。三菱愛、エクリプス愛です。ハハハハハハッ」

人生の一部ですから

エクリプスにまつわる話をしながら走っていくと、林に到着した。竹林に分け入っていくと、白と赤の初代エクリプスが現れた。どちらも苔むしている。

一台おいてその向こうにも、もう一台。
こちらは、一時流行した、角度によって青にも紫にも見える塗装に塗り替えられている。
これで3台。自宅の5台と併せて、全部で8台也。
それらの奥に初代パジェロとギャランΛ(ラムダ)が並んでいる。雨ざらしで置かれているから、どれも苔むしている。いずれレストアされるか、部品に分解されるのだろう。

「初代エクリプスは2000台日本に輸入されて、そのうち12台は部品になったものも含めてウチにあります。デリカD:5やミラージュの点検や整備は近くの三菱ディーラーに出していますが、エクリプスは全部私がやっています。ヘッドライトの光軸とサイドスリップ調整は業者に依頼しますが、それ以外は全部自分で整備してユーザー車検に出しています」

これからも、初代エクリプスに出会ったらすべて救い出すのだろうか?


「その気持ちに変わりはありませんが、ギャランΛ(ラムダ)やスタリオンなどエクリプス以外のクルマはレストアを進めて1モデル1台に集約していきたいですね」

エクリプスは増やすのだろうか?


「エクリプスもレストアを進めて、完成したクルマから仲間に譲っていってもいいかなと考えるようになったんですよ」

何か心境の変化でもあったのだろうか?

「自分で思っているよりも残された時間というのは短いんじゃないかと思うようになりまして……」

デリカD:5に乗って元気にしていた父親が昨年、突然に無症候性心筋梗塞に罹ったことから、生きていると何が起きるかわからないと悟ったからだった。自身の膝の病気の症状も気になっている。

「だから、少し整えようかと思いまして、まず手始めに庭に屋根を造ってその下にクルマを移します。脱・野ざらしですね」

仕事ぶりをうかがうと、暇などまったくない人なのである。本業だけでも忙しいのに、フグの調理師免許を取得して、友人のフグ料理店を冬の間だけほぼ毎日、もう10年以上も手伝っているというから驚いてしまう。友愛である。

青池さんは断言した。

「エクリプスを卒業することはないでしょう。人生の一部ですから」

ちなみに、エクリプス クロスはショールームの展示を見て、買うつもりになった。

「AYCを装備しているところが三菱らしく本格指向で良いですね。父のデリカD:5のクリーンディーゼルの出来が良いので、クリーンディーゼルが欲しいですね」

青池さん宅の玄関前に三菱車が5台並ぶのも近いかもしれない。

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