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2019.09.20

愛知県

出会いをつむぎ出してくれるクルマです

中野由紀彦さんと三菱ランサー・セレステ(1975年型)

020YEARS

080,000KM

※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。

B全のキャンバスが運べる

1台のクルマを乗り続ける理由は人それぞれだ。十人十色どころか、百人百色、千人千色になる。
三菱ランサー・セレステに20年8万km乗り続けている中野由紀彦さんは、入手した当初はそんなに長く乗るつもりはなかった。

「自分でレストアして、完成したら2年間ぐらい楽しむつもりでいたのが、もう20年も経ってしまいました」

三人の娘の子育ても一段落し、長年親しんできたタバコやパチンコも辞めて、手持ち無沙汰になっていた頃だった。家族のためのクルマは三菱グランディスがあるし、妻は三菱パジェロミニに乗っていた。

「だったら、学生の頃にラリーをやっていたセレステを直して乗ってみようか」

当時、友人が三菱ランサー1600GSRに乗っていて、中野さんも同じものを買おうと考えた。

「クルマに詳しくなかったので、同じエンジンを搭載しているランサーとセレステならば同じように走るだろうって考えていました」

でも、中野さんはランサーを買わず、セレステを選んだ。美術大学に通っていて、B全サイズのキャンバスを運べるのはセレステだったからだ。

当時の写真を見せてもらった。ナイトラリーのスタートシーンで、大きな日の丸が振り下ろされようとしている瞬間だ。ゼッケン42番を付けたセレステが走り出そうとしている。

「なにしろ、親に借金して買ったセレステですから壊せません。壊せないから思い切った走りができなくて、タイムも遅かったですよ。ハハハハハハッ」

自分を客観視して面白がることができる、愉快な人なのだ。

「ラリーは楽しかったですね。友人と一緒に出場したり、速い人にドライビングを教わったりして、計測タイムを短縮できると余計にうれしかったですね」

ラリーはデザイン事務所に就職しても続けた。スポーツタイプのサスペンションを組み込み、ラリーだけでなくダートトライアルなどにも出場した。
やがて、ラリーの競技規則が変わったこともあり、中野さんは卒業。セレステもランサーEXに買い替えた。結婚し、家族が増えてからはランサーワゴン4WDを経てデリカ・スターワゴン4WDに。さらに、グランディスへと乗り換えていった。

サビにまみれた哀れな姿

セレステは、自分が乗っていたのと同じ1975年型の1600GSRが欲しかった。だが、最初に入手できたのは76年型の1400GLだった。神奈川県の厚木にあったものだった。
大阪に79年型の1600GSRが売りに出ていると聞いたので、買うつもりでローダーを運転して向かった。20万円の売り値を値引き交渉したが、負からなかったので諦めたこともある。
念願の1600GSRは同じ県内の藤本自動車という整備工場に10数年間雨ざらしで置かれていたものだった。セレステオーナーズクラブの会長から、その存在を教えられた。

「ボロボロでした。サイドウインドウが割れて、床に水が溜まり、猫の住処になっていました」

5万円で譲ってもらい、後日、またローダーを運転して取りに行った。その時の写真も見せてもらったが、その黄色い1600GSRはサビにまみれ、哀れな姿だった。

自宅に運び込んでガソリンを入れ替え、バッテリーをつないで、キャブレターにガソリンをたらしてセルモーターを回したら、意外にもエンジンは掛かった。

「エンジンはそのままずっと回り続けていたので、“こっちを残すか!?”と考え直しました」

と言うのは、1400GLを乗るつもりで、黄色い1600GSRは最初は“部品取り用”と考えていたのだ。あまりに状態が悪かったからだ。しかし、エンジンはいつまでも回り続けているし、なんといっても欲しかった75年型の1600GSRだ。

「方針を変更して、黄色を“主体”にすることにしました」

黄色の1600GSRと共通するパーツを1400GLから移し替えることでレストアを進める方針に決めた。まずはブレーキを修復し、パワートレインやシャシーはそのまま行けそうだった。
最大の難関はボディのサビだった。あらゆるところに及んでいたが、エンジンルームやフェンダー内部、ジャッキアップポイントとその周辺などが特にひどかった。

黄色だったボディカラーを、24年前に最初に乗ったセレステと同じ白に塗り替えることにした。楽しむためのレストアだから、塗装も自分で行った。

「今は、“肌荒れ”がヒドくなっていますが、完成時はキレイだったんですよ」

たしかに、近付いて見てみると、塗装面に細かな亀裂があちこちに認められる。

「黄色を剥離せずに上から塗っているから、擦れるところなどは黄色が見えているでしょう?」

その通りだ。ボンネットを開けて見せてもらった。
サビが進行していた部分にキッチンなどで用いる補修用アルミテープを貼り、その裏側にパテを塗り、白く塗装してある。アルミテープを重なり合わせた線がくっきりと見える。

「素人ならではの手法なんですよ」

スプレーガンではなくて、缶スプレーでボディ内外を塗ったというから驚く。缶スプレーとはいえ、仕上がりは上々でムラになったりしていない。
レストアは半年で完成したというが、楽しみながら中野さんが仕上げていった様子が伺えた。

「メカニズムはほぼそのままで使えましたから、とてもラッキーでした」

セルモーターやメーターパネル、キャブレターなど交換し、1400GLからはボンネットやテールゲートなどを移植した。

朝になってしまいますよ!

「いろいろな人からクルマについて教わったり、人を紹介してもらったり、時にはパーツを融通してもらったりして、とても感謝しています」

この連載でも取材させていただいたランサーGSRとランサーワゴンを乗り続けている鈴木紀昭さんには、特にお世話になった。

「このクルマに乗っているから始まった、友人たちとの交流がうれしいですね」

自身や仲間たちの面白いエピソードが次から次へと出てくる。義兄が持っていた縁から、セレステと並行してギャランFTOも持っていたこともあった。

「すべて思い出してお話ししていたら、朝になっちゃいますよ。ハハハハハハッ」

それが大袈裟には聞こえないほど、中野さんはセレステとFTOにまつわるエピソードをうれしそうに語る。

ブログに書いた入手困難なパーツを見ず知らずの人が送ってくれたり、ある仲間が遠出した先で故障したトランスミッションを偶然にもその近くに住んでいた別の仲間たちが修理してくれたり、藤本自動車の主人が中野さんが送った年賀状をすべて保存してくれていた話など、僕も全部書きたいけれども紙幅が足りない。そして、何よりも中野さんは友人たちとの付き合いを大切にしている。

「このクルマは、人との出会いをつむぎ出してくれる、いい道具のようなものです」

一般的に古いクルマのレストアでは、オリジナル状態を完璧に再現しようとしたり、性能向上のためにチューニングを施したりする例などが少なくないけれども、中野さんの場合はどちらとも違う。肩肘を張らずに自分の好みと方法で仕上げて乗っている。こだわっているようでこだわっていないところと、こだわっていないようでこだわっているところが合わさった姿勢に大いに共感できた。

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