2019.12.23
東京都

奇跡は連続する
関 正弘さんと三菱エテルナ・Σ・デュークV3000(1989年型)
030
0278,000
※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。
ハロー、グッバイ
納車式というものに立ち会った。
行われたのは、東日本三菱自動車販売株式会社緑ヶ丘店。関 正弘さん(60歳)に、2004年型の三菱ディアマンテ・エスパーダが納車されたのだ。
この店では、スタッフ総出で式を行ってくれる。店長がお礼を述べ、顧客がそれに応えて話し、見送りを受けてショールームから走り出していくというものだ。
日付や氏名などを書いたパネルなどはスタッフお手製のもので、撮影された写真がショールームの壁に貼られている。なにかマニュアルのようなものがあるわけでもなく、かしこまらず、手作りのイベントの暖かさが感じられてくる。
それにしても、関さんはなぜ15年も前のディアマンテを購入したのだろうか?
ディアマンテの隣に並んでいるのが、関さんがこの日まで新車から30年間を共にしてきたクルマだ。一見すると、Σ・ハードトップのようだが、そうではない。
登録された台数がとても少ない、エテルナ・Σ・デュークV3000という珍しいクルマなのである。資料によれば、月間販売計画台数はわずか100台。
「都内で登録されているのは、これ一台のようです」
関さんはデュークに新車から30年27万8000km乗り続けた。首から下げているパネルに書かれた「11081」という数字は、30年前に納車された時からこの日まで共に過ごしてきた日数だ。これも、スタッフが数えてパネルにしてくれた。
この日はディアマンテの納車式でもあるけれども、デュークとの最後の日でもあるのだ。新車から30年も乗り続けてきたのだ。感慨もひとしおに違いない。
「今は、“30年間、ありがとうございました”という感謝の気持ちで一杯です。労ってあげたいですね。でも、“完璧な状態にまで直してあげられなくてゴメンね”というすまない気持ちもあります」
なんて優しい人なのだろう。30年という時間の経過だけでなく、販売された台数が少ないこともあって、パーツの確保がだんだんと難しくなっていった。
「それでも、ここ緑ヶ丘店のスタッフの皆さんは良く面倒を見ていただきました。感謝しています。購入した三鷹店の皆さんにもお世話になりました」
3台目の三菱製セダン
安全には人一倍気を遣っている。定期点検や車検もキチンと緑ヶ丘店で受けている。それでも、車齢には逆らえず、不具合が出始めてきた。
「中央高速道路の小仏トンネルを走行中にマフラーから煙を吐いて止まってしまった時はどうすることもできませんでした」
エンジン本体が原因ではなく、オイルが漏れたことが煙の正体だった。他にも、高速道路を走行中に充電量が足りずに止まったこともある。すべてを記録しているので点検記録簿は2冊になった。
「これ、な~んだ?」
満面の笑みでイタズラっぽく問いながら取り出されたのが、長さ20センチ弱の何かの部品だった。両端の“く”の字型の片側が折れている。
「折れちゃったから、これから造り出したの」
隣に並べられたのが真鍮の塊。
折れたのはデュークの運転席のドアハンドルで、溶接ではつながらないから真鍮の塊から削り出して関さんが作ったのだ。職業柄、お手のものだ。

21歳の時に買った初めての自分のクルマが三菱ギャラン・Σ・スーパーサルーンだった。2年乗り、前輪駆動化された次のギャランに乗り換えた。その次の、自身3台目となるのがデュークだった。
「多摩33というナンバーがいいでしょう?」
関さんがデュークを買う前に自動車税制が変わって3ナンバーと5ナンバーの税額の隔たりが以前ほどでなくなり、世の中はバブル景気に沸き立っていた。
他メーカーから続々と発売される、高性能で大型ボディのセダンを横目に眺めながら、三菱自動車から3ナンバーのセダンが発売されるのを待ち続けていた。
1989年5月に、シグマ・ハードトップシリーズの上級版としてデュークは追加された。デボネアV用のV型6気筒3000ccエンジンを搭載し、専用の前後の大型ウレタンバンパーで全長も伸びている。
好みの操舵力を二通り選べる2モード車速感応型電子制御パワーステアリングや、パワーとエコノミーの2モード選べる4速オートマチックトランスミッションなどが標準装備。
走行状況や路面状況に合わせ、サスペンション特性と車高などを自動調節するエアサスペンもオプションに設定されていた。
「電子制御を積極的に採用しているところが、のちのギャランVR-4につながり、さらにはランサー・エボリューションの発展の基礎となっていったのだと思っています」
そうした三菱らしさに溢れているところが気に入って購入した。実際に加速が良く、中も広かった。
「高速道路や峠道などで、加速が息切れしていた2台目のギャランとは大違いで、デュークを買って良かったと100点満点でした。ハイ」
男の夢

都内で金属部品の精密加工業を営む関さんの三菱自動車への興味と関心は小学生の頃にまで遡る。
「通学路の途中に三菱自動車のショールームがあって、そこに飾られているクルマを見て、“ああ、三菱のクルマってカッコいいな”と思いながら通っていたんです」
高校生の頃には、三菱財閥の創業者であり初代総帥の岩崎弥太郎の伝記を読んだりした。
「事業を興すとはどういうことなのか? などと考えていたので、その答えを求めて読んだのかもしれませんね」
ずいぶんと向学心に富んだ高校生だったようだ。家には他のメーカーのクルマがあり、父親が乗っていたが、大学4年生の時に前述の最初のギャラン・Σを買った。
関さんは機械メーカーなどに製品を収める一方、それらとは別に月面にロボットを送る「まいど2号」計画に参画している。東大阪の業者によるプロジェクトだが、どうしても参加したくて理事会に出掛けて直談判して、実験段階での部品を造って収めている。
「男の夢ですよ」
末端の消費者に販売されるものではなく、むしろ、それらを製造する機械や生産設備のための特殊な技術が要求されるものを造っている。だから、完成したものを大急ぎで届けることも少なくない。
夜中に完成し、そのままデュークで届ける。近くばかりではない。夜通し運転して、早朝に納品し、少し仮眠したりしながら来た道をまた運転して戻ってくる。
長距離の高速運転だから、エンジンの余裕としっかりとホールドしてくれるシートが必需品だ。サービスエリアや道の駅で、シートを倒して仮眠することもあるからスペースも必要だ。スペースはお得意さんを後席に乗せることもあるから、なおさら大切だ。
「広さだけでなく、乗り降りのしやすさとか居住性も大事です。だから、SUVやミニバンなどではなくセダンが必要なんです。デュークのシートはフカフカで快適なので、お客さんにも喜ばれていました」
長距離走行がデュークの主な使い途であることは今でも変わらない。以前は、仕事の他に、軽井沢や菅平などまで仲間たちとテニスに行くのにも重宝していた。
そろそろデュークの乗り換えを考えなければならなくなった時、緑ヶ丘店販売課の山崎 純さんはeKワゴンを勧めた。
「今の軽自動車は性能も安全性も30年前とは比べものにならないくらいに高いですからね」
軽自動車に換えれば、維持費も軽減できる。経営者にとっては大切なことだ。しかし、山崎さんはその一方で関さんがデュークのようなセダンに乗り続けたいことも重々に承知していた。
そうしたら、このディアマンテが現れた。15年間でたった9500kmしか走っていない。担当者は、山崎さんの知っている人だったので、すぐに電話を掛けた。
「“奇跡の一台だ”と言われました」
資料も調べた。新車で購入後、余裕をもった使い方をされ、定期点検と車検を欠かさず三菱自動車のディーラーで受け続けてきた。僕も見せてもらったが、15年前のものとは思えないほど完璧なコンディションだった。
希少なデュークを30年27万8000km乗り続けたのも奇跡のようなことだし、奇跡のようなコンディションのディアマンテが見付かったのも、また奇跡に違いない。
納車されたディアマンテで、関さんはさっそく静岡県の御前崎まで納品に行く。