2023.06.07
千葉県

情熱と愛情を注ぎ続ける二つのもの
羽山正美さん、陸さんと三菱GTO TWIN TURBO(1992年型)
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084,000
※お客様より了承を頂戴し、ナンバープレートを隠さず掲載させて頂いております。
三菱のクルマには縁が深い

交差点を曲がってお宅の方に近付いていくと、すでにガレージのシャッターが上げられているのが見えた。さらに近付いていくと、駐められている2台の三菱GTOが顔を覗かせていた。
左の黒いGTOは羽山正美さんが新車から30年8万4000kmあまり乗り続けていて、右のパープルメタリックのGTOは息子の陸さんのものだ。なんと、父子で1台ずつGTOに乗っているのである。

建設会社を経営していた羽山さんの祖父が三菱自動車の販売店からたくさんのクルマを買い続けていたこともあって三菱のクルマには馴染みが深い。父親もコルトやギャラン・シグマなどを乗り継いでいた。羽山さんも、エテルナ・ラムダ、2台のスタリオンなどを乗り継いで、GTOに買い替えた。並行して、2台のコルトやグランディスなどにも乗っていて、現在はデリカD:5もある。

「他メーカーのクルマにも乗ったことがありますが、エンジンの出力特性が三菱のクルマとずいぶんと違っていました。特に、三菱のロングストロークタイプのエンジンのトルクの出方が自分には合っていますね」
特に、グランディスの2.4リッターエンジンが印象に残っているそうだ。オートマチックトランスミッションとの組み合わせも良く、トルクに余裕があって走りやすく、つねに適切なギアが選ばれて燃費も良い。グランディスに対する高評価は、以前にもこの連載で取材させていただいた大阪のオーナーさんからも伺ったことを思い出した。
4輪駆動の威力
羽山さんがスタリオンからGTOに乗り換え、乗り続けている理由はどちらも明快だ。
スタリオン2000GSR-Vに続いて、スタリオン2600GSR-VRに乗っていた冬に大雪に見舞われ、スタックしたことがあった。ディーラーの営業部員のパジェロに救い出されたことがキッカケとなった。
「やはり、4輪駆動の威力が大きいということが良くわかりました」
4輪駆動の走破力は雪の上だけでなくても、アスファルトの上での安定性にも寄与するはずだからと考え、GTOに買い替えた。
パジェロに救い出されたのだから、パジェロに買い換えようという気は起きなかったのだろうか?
「ええ。背が高いクルマは好みではないんです」

SUVという言葉が、まだ日本では普及していなかった頃のことで、パジェロのようなオフロード4輪駆動車はレクリエーショナルビークル(RV)とも呼ばれ、数も種類も少なく、まだまだ特別な存在だった。
「間違いありませんでした。4輪駆動のGTOを選んで良かった。冬に路面が凍結していたり、雪の上を走っても安定してスイスイ走れましたから」

4ドアのクルマも好みではないということも理由の一つだった。
「4ドアのクルマは、直線と平面でデザインされていて、見ていて味気ない。だから、私にはどうしても単なる移動手段や道具にしか見えないのです」
なるほど、羽山さんはエテルナ・ラムダ、2台のスタリオンと、背の低いスタイリッシュな2ドアのクルマを乗り継いできている。好みが一貫しているのだった。GTOを選んだ理由は、他にもあった。

「GTOのボディの曲線は美しい。あの曲線は他にはありません。横から見た時のボディラインがきれいですし、リトラクタブルヘッドライトも好きです」
この時は他に日本とイタリアのミドエンジンスポーツカーも検討したけれども、GTOが一番だという気持ちは揺るがなかった。
GTOに決めて、購入する時に羽山さんは悔しい思いをしている。
「注文が間に合わなくて、300台だけ造られた限定車を買えなかったんです」
その限定車とスタンダードのGTO TWIN TURBOとの違いは、5つ。脱着式のガラスルーフ、背もたれに“GTO”と刺繍されたシート、黒に近い濃いグレーのボディカラーなどだ。
「ディーラーに注文しようとしたら、売り切れで買えなかったんです」
限定車には特別な車名も付いていなかったのではないかと記憶も定かではない。インターネットで検索してみてもらったところ、1992年に300台限定生産された“スペシャルバージョン”がヒットしただけだった。
「はい。この“スペシャルバージョン”でした」

それでも、羽山さんはスタンダードのGTO TWIN TURBOの5速MTでボディカラーに黒を選び、オプションで脱着式のガラスルーフを追加して、なるべく限定車に近付けるような仕様を注文した。
「実は、スタリオンでも限定車を買えなかったんですよ」
スタリオンには、限定5台というとてもレアな限定車が造られたことがあったそうだ。
「フジテレビで放映されていた『ゴリラ』という刑事ドラマで、舘ひろしが乗っていたガルウイングに改造されたスタリオンと同じものです」

限定スタリオンは買えなかったが、当時のディーラーの三菱自動車君津店では少しでも限定車に近付けるようにと、メーカーオプションで設定されていた調整式のショックアブソーバーや脱着式ガラスルーフなどの装着に対応してくれたりした。
同好の士の手助け

助手席に乗せてもらって、近くの公園に出掛けた。カーナビなどが追加されているが、丁寧に乗られているから29年前の様子を良く留めている。助手席の前のダッシュボードには、誰かのサインらしきものと’94.9.22という日付が書かれている。

「ミーさんに書いてもらいました」
元ピンクレディの歌手“未唯mie”のサインだった。94年だから29年前のことだ。GTOを購入してすぐではないか。
「ええ、そうです」
ピンクレディ時代から“未唯mie”のファンであることは、最初に羽山さんと電話で話した時から聞いていた。東京ドームでの7万人コンサートや日本武道館での5万人コンサートは3回中2回通ったほどの熱心さだ。
「今年の8月の目黒のライブハウスでの公演には行けませんでしたが、10月には行きますよ」
公演にはGTOで向かうことが多い。数年前に、コンサート後に“未唯mie”と言葉を交わす機会があった時に、94年にサインしてもらったGTOに乗っていることを話したら、驚かれた。

「まだ、乗っているんですか!?」
GTOを駐車場に停めて、現代では珍しくなった脱着式ガラスサンルーフを取り外す様子を見せてもらった。

まず、車内からルーフを固定してある開口部後端にあるダイヤルを回す。少しずつガラスルーフ後端が持ち上がり、開いていく。ここで回すのを止めても、換気用に後端が開いたチルトアップルーフとして活用することもできる。
さらにダイヤルを回してロックを外したら、今度は車外から外したガラスルーフを取り外す。開口部に差し込まれるようにして固定されている前端を抜き取るようにして取り外す。羽山さんが右側を持ち、陸さんが左側を持って、外れたガラスルーフをそのまま後ろに運んで、トランクルームに収めた。

ガラスルーフは大きく、その分の重量があるから脱着には少しの慣れが必要だろう。だが、開口部は大きいので解放感は抜群だ。爽快な気分で走ることができる。

陸さんのGTOは、ひときわ目立っている。ボディカラーがパープルというところだけでなく、なんと左右のドアがシザーズドアに開閉するようにモディファイされているのだ。この状態の中古車を購入し、コンディションを整えながら乗っている。
そして、偶然にも陸さんのGTOには羽山さんが悔しい思いをした300台の限定車“スペシャルバージョン”に装着されていたシートが着いている。ボディカラーもドアも変わってしまったが、GTOのロゴがシートバックに刺繍されたシートは限定車のものだ。

羽山さんのGTOは、新車から29年間も所有されているのに、走行距離は8万4000kmと意外に短い。単純な年間平均距離では2896kmしか走ってこなかったことになる。放射線技師である羽山さんは毎日病院に通勤していると聞いていたけれども、通勤距離が短かったのだろうか?

「長い場合も、短い場合もありました。購入したばかりの頃は毎日GTOで通勤していましたが、渋滞でのクラッチの重さがキツく感じられるような日は、父のクルマに乗り換えていました」
29年間には、同好の士に助けられたことが2回あった。相手は、2回とも「GTO CLUB GIFU(岐阜)」というクラブのメンバー。
「加速中にエンジンが止まるようになり、翌日には掛からなくなったことがありました」
エンジンの燃焼を電子制御しているECUが不調だということはわかったが、ディーラーをはじめとして日本国内では在庫が見付からなかった。GTO CLUB GIFUのメンバーがイギリスの業者から取り寄せてくれて装着することができた。

もうひとつは、5速MTのギアシフトが冬になると硬くなり、スムーズに入らなくなる症状が発生した。その時も、「そういう時はオメガ製の6速MT用が合う」という情報をGTO CLUB GIFUのホームページから得て、実行してみたら見事に解消した。
前述の、重いクラッチ操作による渋滞や坂道発進のキツさは変わらない。それでも、乗り換えずに29年間にわたって持ち続けているのは、GTOが羽山さんにとって掛け替えのないものであるからだ。

「GTOに乗り続けているのは私の趣味嗜好そのものなのですが、ここまで来ると我がままな欲望と化していますね」
羽山さんは自嘲するように笑顔を見せてくれたが、筆者にはそれはとてもうれしそうに映った。
「自分のGTO用に確保しておいたパーツが、みんな息子に使われてしまいましたよ」
まるでそうなることを予想していたかのように淡々と語ってくれる。ラジエーターホースやプラグ、プラグコードなどを陸さんのGTOに使った。ラジエーターホースは神戸のショップから取り寄せたものだった。

「現代のクルマは性能も良く、燃費にも優れていることは理解しています。でも、このかたちのカッコ良さや速さなどはGTOでしか味わえません。だから、家族用の他のクルマは買い替えても、GTOはずっと持ち続けます」
GTOと“未唯mie”。もちろん、クルマと歌手は同じものではないけれども、羽山さんには情熱と愛情を注ぐ対象がふたつもあり、長い時間を経てもそれが変わらないところが素晴らしい。“未唯mie”も、もう一度驚いてくれることだろうと僕は思った。